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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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スーパー抗体酵素の発見

助手生活3年目にして、世界に先駆けてスーパー抗体酵素に出会う。この発見は、実験の「失敗」から生まれたものだという。どういう経緯で発見にこぎつけたのだろうか?

———スーパー抗体酵素との出会いについて教えてください。

きっかけは学生の実験でした。広島県立大学生物資源学部の宇田泰三教授の研究室で、エイズセンサーを卒論のテーマに選んだ学生の実験の指導をしていました。酵素免疫測定法でウイルス抗原を検出させたところ、本来だったら絶対起きないはずの結果をデータとして持ってきたんです。

———酵素免疫測定法は最初に企業に就職したときに出会った測定法ですね。

はい。この測定法は長いことやってきていますので、試薬が悪かったらこういうことが起こるとか、どこを失敗したらどんな結果になるという一通りのパターンはわかるわけです。ところがその学生が持ってきたデータは、「どうやったらこんな結果になるの?」とまったく理解できないものでした。
別の材料を渡して実験してもらうと、そちらはきちんとしたデータが出る。だから最初の実験で出たおかしな結果は、その学生のやり方が悪かったからではない。「いったい何が起こっているんだろう」という疑問がわいて、あれこれトライしているうちに、抗体が抗原であるエイズウイルス(当時実験に使っていたのはウイルスそのものではなくペプチド)を切断して分解したことを突き止めたのです。

———抗体が抗原を切断して分解する酵素の機能を持っていたということは、従来の常識では考えられない結果だったわけですよね。この結果が「間違いない」ことを確かめるのは大変だったのでは。

コンタミネーション(異物混入、試料汚染)などの実験ミスの可能性を見極めなければなりません。学生にやらせるのでは心もとないということで、それまで取り組んでいたテーマをやめて、試料の用意の仕方や条件をことごとく変えて試行錯誤を繰り返し、2年間実験を続け、ようやく「間違いない」と結論づけることができました。
あとでわかったことですが、抗体にはちょっとしたことでいろいろな構造をとりやすい性質があって、ハサミがあるのに切れ味が悪かったり、切れなかったりしたことも難渋した原因です。

———2年間も! スーパー抗体酵素を発見したときはどんな気持ちでしたか?

そのときは30代の前半だったのですが、先ほどからお話をしているように、研究者として大成しようなどとは全然考えていなかった。この研究がうまくいったらこういう論文を書いて、新しいポストにアプライ(志願)しようとか、研究者として独立してやっていこうとか、もう200%なかった。当時は学位も持っていなかったですし。ああやっぱり正しい実験をやったからそういう結論が出たんだと、ほっとしました。

———では、研究者としての転機は?

研究が少し落ち着いたときに、宇田先生から「学位を取りなさい」と言われました。正直な話、私には敷居が高すぎると思っていたし、もっと言うと学位を取らなくたって実験できるのだから必要ない、という思いもあったのですが、宇田先生から学位を取らないと研究もできなくなると言われて考えを変えました。振り返ると、そのときにはおっしゃることをちゃんと理解できていなかったのですが、研究助成の申請書を書くにも学位の欄があるし、審査する立場になったら学位を持っているかどうかは判断基準のひとつになります。そういう意味では、研究者として生きていくための免許証を得たということでしょうか。2001年に九州大学から工学博士の学位をいただきました。

学位記とお祝いにいただいた博多人形(2002年元旦。学位取得は2001年12月)

———その後、「守田科学研究奨励賞」や「猿橋賞」などを受賞されています。

2003年に大学女性協会の守田科学研究奨励賞をいただいて、それで両親が納得してくれました。この賞は自然科学を専門とする40歳未満の若手女性研究者が対象の賞で、当時私は明けても暮れても実験を繰り返していて、家にいないわけです。あのころは携帯電話もありませんから、親が実家から電話してきても自宅にはいない。「もう歳も歳なのに、どうしてそんなに研究に明け暮れているんだろう」と、たぶんそんなふうに思っていたんでしょう。
守田賞の授賞式には親を呼びなさいということになっていて、出席した両親は、授賞式で日頃お世話になっている先生方の話を聞き、私の仕事ぶりにも納得したようです。「これはもう好きにやらせるしかない」と思ったらしくて、それからはうるさく言わなくなって純粋に応援してくれるようになり、今に至っています。
2014年に猿橋賞をいただいたときは、私なりのやりかたで研究を続けていっていいんだというお墨付きを得たようで、嬉しかったですね。

2004年守田賞授賞式(右から2人目)。もう一人の受賞者の深澤倫子さん、協会幹部の先生方と

猿橋賞 授賞式。「女性科学者に明るい未来をの会」米沢富美子会長と