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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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世界初、人工飼育下でのヌタウナギ胚の発生と観察に成功!

———最近はヌタウナギについて先駆的な発見をされましたね。

いまお話したように、脊椎動物はヒト、サメなどアゴ持つ仲間の顎口類とアゴを持たない円口類に分けられますが、ヤツメウナギのほかに、もうひとつ円口類に属する動物がいます。それがヌタウナギ類です。
しかし、ヌタウナギを学術的にどのように理解すべきかについては、昔から議論がありました。ヤツメウナギよりさらに原始的な動物だとの意見もあれば、いや、ヌタウナギとヤツメウナギは単系統群であり、祖先・子孫の関係ではなくて兄弟だとの意見もあるし、そもそもヌタウナギは背骨や眼のレンズがないなど、その原始的な外見から脊椎動物とはみなされない時期もありました。

———ヌタウナギの位置づけがはっきりしていなかった・・・?

近年のDNAデータを用いた解析では、ヌタウナギは脊椎動物に分類され、ヤツメウナギと系統的に最も近い関係にあることがわかっています。さらにその位置づけを正確に探究するためには、ヌタウナギの発生過程を詳しく調べ、ほかの脊椎動物と比較することが必要なのですが、当時、ヌタウナギの胚発生を観察した報告は、米国の研究者B・ディーンが1899年に行ったものがあるだけだったのです。

———なぜ100年以上もヌタウナギの胚発生についての報告がなかったのですか?

そもそもヌタウナギは深海に棲む生き物です。このため、その生理、生態についての研究が十分に行われていない上に、卵の入手も困難なのです。もちろん捕まえたヌタウナギから卵ぐらいは産ませられるんですが、どういうわけか発生しない。多くの研究者がチャレンジしては失敗していました。

———先生の研究室では飼育に成功したんですね!

それまでは片手間にやっていたから失敗したのではないか、集中してやれば産卵、受精、そして発生させることができるはずだと取り組んだのです。
捕獲したヌタウナギの人工飼育を担当してくれたのが太田欽也研究員(現在は台湾・中央研究院のPI=研究室主宰者)で、彼は近畿大学の水産学科出身で魚類の飼育のセンスがあり、飼育を始めて1年目にはすでに産卵に成功しました。もっともこのレベルまではほかのラボでも何度もやっている。問題はこれが育って、胚発生させることができるかです。が、やはりこれが難しい。100年前のディーン博士の記載によれば「2カ月ほどで孵化する」と書いてあるが、3カ月経っても何も起こらない。
「まあしかし、減るもんじゃないから」と、そのまま置いておいたら、5カ月目ぐらいに「先生、何か育ってます」と太田君から報告がありました。そこで、ひょっとしたら2カ月で孵化するというのは間違いで、実は1年と2カ月ぐらいかかるのではないかと気づいたわけです。そういえばサメの中にも孵化までに1年かかるものがいます。ずっと待っていたら、ついにいくつかの胚発生を確認することができました。

体長20cmのヌタウナギ

ヌタウナギの胚

———それが世界初の快挙だったわけですね?

人工飼育下でのヌタウナギの胚発生成功は世界で初めてのことでした。このとき、卵の中から胚をピンセットで取り出したのは人類史上、私が最初です。太田君が「ぼくは自信がないので、先生やってください」と言うのでやりましたが、卵黄の中に埋没しそうになる胚を扱うのが大変難しく、このときはさすがに手が震えましたね。
脊椎動物の化石研究の大御所でフランスの古生物学者にフィリップ・ジャンビェーという先生がいて、胚がとれたその日に彼にメールで知らせたら、10分後には世界中が知っていました。ちょうどそのとき私の研究室にいたスウェーデン人の留学生は「今、歴史が動いたのを見た」などと言ってましたね。
しかし、これはあくまでスタートです。そこから研究しなければいけないことが山ほどありました。そこでまず取り組んだのが神経堤細胞を見つけることです。神経堤細胞は脊椎動物を特徴づける独自の細胞で、ヌタウナギにこの細胞が存在するかどうかが進化発生学的研究において議論の対象になっていたのですが、われわれの研究でその存在を明らかにすることができました。この研究成果については2007年に「ネイチャー」で発表しています。

———その後の研究はどのように進んだのですか?

ヌタウナギには背骨がないといわれていましたが、2011年にヌタウナギの尾部に複数の小さな軟骨の塊があり、この軟骨が脊椎骨と同様の形態学的特徴を持っていることを発見しました。さらに、胚の組織切片標本を観察したところ、脊椎動物の背骨の元となる細胞集団と同様の細胞集団があり、脊椎骨の形成に必要な2つの遺伝子が発現していることも突き止めました。つまりヌタウナギは「背骨をつくることができない原始的な生物」ではなく、「背骨をつくる仕組みを持っているものの、背骨が退化してなくなった生物」だったわけです。

ヌタウナギ(成体)の透明骨格標本および組織切片標本

a ヌタウナギ全身の透明骨格標本
b 透明化標本の尾部の拡大写真
c 尾部の組織切片標本。
矢頭で示した青い組織が背骨に対応する軟骨の塊。
スケールはa = 1cm、b = 1mm、c = 100μm

また、ヌタウナギの頭部の発生パターンを調べるうち、ホルモンの分泌器官である下垂体が、他の顎口類と同じように外胚葉由来であること、また、同じ円口類であるヌタウナギとヤツメウナギの胚の発生過程で、鼻孔は一つで鼻と下垂体が近接するという互いにそっくりになる時期があって、われわれ哺乳類には存在しない発生の段階だということも解明しました。これは当時学生だった、大石康博君が中心に行いました。
さらに2016年になって、これまで円口類にはないと考えられていた「大脳の一部分の発生の基となる部位(内側基底核隆起)」や「小脳が発生する場となる部位(菱脳唇)」の存在を、菅原文昭(元)研究員が明らかにしました。この2領域は、ヒトの脳が発生するときにあらわれる基本構築パターンと同じ。ということはつまり、これまで顎口類になってから段階的に進化してきたと考えられてきたわれわれの脳の各領域が、5億年以上前にはすでに成立していたということが推定できるのです。

脊椎動物における脳進化のシナリオ

脊椎動物の脳の領域化は、円口類と顎口類が分岐する以前にその多くが成立していた。円口類との分岐以降、層構造を持った真の小脳が軟骨魚類(サメやエイなど)の分岐までに獲得され、さらにほ乳類の進化の過程で大脳新皮質が著しく発達したと考えられる。