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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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ICU以上にハードだったアメリカ留学

———ICUというと、英語教育に定評がある大学ですよね。

1年目のインパクトは忘れられません。今は多少システムが変わっているでしょうが、私が在籍していたころは、1年目の中心は語学でした。しかも第二外国語はないんです。毎日、リーディングやライティング、英語でのディスカッションの繰り返し。高校時代まで生の英語をまともに聞いたことはなく、せいぜい洋楽を少し聴いたぐらい。ましてや英語でディスカッションなんてしたこともなかったのに、英語漬けの毎日が待っていたわけですから。
ライティングにしても、毎回、文学や社会批評、科学論文など、違う本を読んで考えたことをエッセーにまとめるんですが、文章を書いては先生に添削してもらう授業が1年間続きます。日本語の文章と英語の文章とではストラクチャー(構造、体系)が違うということを徹底的に叩き込まれましたね。ICUの1年間ですべての力をつけてもらった気がします。

———リベラルアーツならではの部分はどんなところに?

たとえば生物を専攻するならこれだけは取らないといけない必修の授業はもちろんあるのですが、それ以外の人文科学、社会科学、どれを履修してもいい。インド思想史やギリシャ哲学の授業などを、その分野を専攻する学生と一緒に履修するんです。だからものすごく中身が濃かった。当時は毎日が楽しくて、もう医学部の選択肢はありませんでしたね。

———植物の形への興味を後押ししてくれるような授業はありましたか。

大学2年のときに受けた、植物形態学や細胞生物学がご専門の兵庫県立大学の峰雪芳宣先生の特別講義です。そこで先生はこんな話をされました。
動物と植物の形づくりで決定的に違うのは、植物の細胞は動かないということ。だから細胞がどちらに分裂するかが重要になってくる。また、動物の細胞はそれほど大きくならないが、植物は細胞そのものが大きくなるという特徴があって、この場合は伸長の方向性が大切になる。では、細胞分裂や伸長の方向性はどのように決まるのか? 細胞壁の内側に存在する微小管などの細胞骨格(細胞の中に存在し、細胞の形態を支えるタンパク質繊維のこと)の並び方が重要な役割を担っているといった内容でした。
このお話を聞いてとても感動して、私の中で、植物の形、細胞骨格、微小管というキーワードが次々に生まれてきたのです。

大学時代の夏休みには毎年サイクリング部の仲間と北海道を自転車旅行しました。思い返してみるといつも自然と戯れていたんですね。(木の上、右から4番目が杉本先生)

———大学3年のときにはアメリカに留学されています。

好奇心が強かったので、とにかく一度外に出たいと思っていました。交換留学プログラムがあって、アメリカで取得した単位がそのままICUでも認定されるので、留年することなく4年で卒業できるのです。そこで世界屈指の生物関連の研究機関がある、カリフォルニア大学デービス校に留学しました。
でもICUも大変だったけれど、デービス校はもっと大変でした。たとえば発生生物学の授業をとったんですが、ショウジョウバエの体節がどうやって決まるかという最先端の内容で、授業を聞いていても全然わからない。当時教科書にもまだ載ってないような内容なので、友だちと勉強会を開いたり、夜遅くまで必死に論文を読んで勉強しては先生に聞きに行ったりしました。有機化学など違う分野の授業も受けました。普通なら4年間かけてやるべきプログラム、というより4年間かけてもできないようなプログラムを、たった1年で一番おいしいところだけ取ろうとするのだから大変なのは当然です。

———ICUに戻るのは4年生の夏ですから、帰ったら即、卒業研究も待っているわけですよね。

そこで、デービス校の先生とかけあって、細胞骨格について研究しているラボで雇ってもらい、細胞骨格を染色するプロジェクトに加わって、3カ月で技術をマスターしました。

———準備万端ですね!

7月に帰国。もちろん卒業研究もあったのですが、大学院に行くことも決めていて、院試が8月の終わりなので間近に迫っていました。大学院に行くかどうかは留学中、相当悩みました。自分が何になりたいのか、何になれるのか、方針がはっきり決まってもいなかったし、自信もなかったけれど、今、自分がおもしろいと思っていることを突き詰めたいという気持ちが強かった。だから、帰って来たときは就活する気はなくて、どこの大学院に行くかを考えていました。

———院でのテーマは、ズバリ、細胞骨格ですか?

細胞骨格をやりたいとまでは決めていなかったけれど、植物の形というのがキーワードでした。
大阪大学と東京大学の院を受け、両方合格しました。東大はのちにノーベル医学・生理学賞を受賞された大隅良典先生の研究室を志望していました。もしあのとき大隅研に行っていたら、今ごろ私の人生、どうなってましたかね・・・。

———大隅研でオートファジーの研究をしたかもしれない???

大学院を受験したのは92年の夏で、当時、大隅先生は教養学部にいらして、ちょうどオートファジーを発見されたころです。お会いしたとき、「酵母を飢餓にするとこんな変なものができるんだけどね」といって液胞内に大きな粒がつまっている電子顕微鏡写真を見せてくださり、「じゃあ、あなた、植物の形をやりたいのなら、植物で始めてみますか」とおっしゃられて、私の中ではそれも人生かな、みたいな気持ちで納得して、受験して合格したんですけど、悩みに悩んだ挙句、結局大隅研ではなく、阪大の永井玲子先生の研究室に行きました。
阪大に決めたのは、その研究室では植物の細胞骨格を研究していたからです。大隅先生のお人柄にはすごくひかれるし、研究者としての考え方にもとても共鳴するところがあって、酵母でもオートファジーでも大隅研に行きたいと思って志望したんですが、最終的には自分のなかにあった身近なテーマを選んじゃったというわけですね。

私はその後、海外に長くいて2007年に日本に帰ったのですが、その年、たまたま基礎生物学研究所で講演をさせてもらったときに大隅先生とお会いする機会があり、「その後どうしているかなあと思っていたけど、元気で頑張っているようだね」と言われました。気にかけていてくださったことを知り、とてもうれしく思いました。