公益財団法人テルモ生命科学振興財団

中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

自分の力で未開の地を切り開く自負

———大学院ではどんな研究を?

コイの体内で酸素運搬を担っているグロビン遺伝子をニジマスに導入する研究です。コイは酸素が少ないドロ水の中でも生きていけますが、ニジマスはきれいな酸素がたっぷりある渓流の中でしか生きていけない。そこでコイのグロビン遺伝子をニジマスに導入し、ヘモグロビンを血液の中でつくらせることができれば、低酸素でも死なないニジマスができるのではないかという発想です。ただ、大学院時代のぼくの師匠の専門は分子生物学ではなかったので、自分で道を切り開くしかありませんでした。

———教えてくれる人がいない中で、分子生物学をどうやって学んだのですか?

遺伝子工学のバイブルというべき「Molecular Cloning」という本があって、それを何度も何度も読みました。だけど、その本を読む以上に大事だったのは、自分の力で未開の地を切り開くという自負というか意気込みですね。

———研究は順調に進みましたか?

遺伝子組み換えによってコイの遺伝子をニジマスに導入できるというエビデンスを得ることができました。当時、日本では食用魚での遺伝子組み換え事例はほとんどなく、ぼくの修士論文が日本で最初か2番目ぐらいの論文じゃなかったかな。その成功体験で研究がすごく楽しくなって、博士課程にそのまま進みました。そのとき考えたのは、研究者は悪くないということ。高校生のころとまったく変わってないんだけど、研究者になれば魚にまみれた一生を過ごせる。そうしたら幸せだろうなと思ったんですね。先ほど言ったように、実験の師匠がいないので悪戦苦闘しましたが、それがまた楽しくて、ドキドキわくわくして毎日を過ごした。それがぼくの大学院時代です。

———大学院時代は、釣りは封印して研究一筋だったのですか?

卒論と修士の2年間は釣りを封印していました。ぼくの場合、一度釣りに行くと絶対に翌週も行きたくなるんです。釣れなかったら悔しくてまた行くし、釣れたら楽しくてまた行く。止まらなくなるので、釣りに行くのをやめていたんですけど、博士課程に進んである程度研究が計画的に動かせるようになって、釣りを復活させました。そのとき、新しい世界に飛び込んじゃったんです。

———新しい世界というと…?

沖釣りです。というのは、同級生は学部や修士を出たあとに就職しているからみんなお金がある。ぼくは運よく奨学金をもらえたもののお金はなかったけれど、就職した友人たちからマグロを釣りに行こうと誘われて、そこから沖釣りにはまっちゃった。最初はマグロはかからず、釣れるのはカツオばかりでしたが。

沖釣りに出かけ、大島の近海で釣り上げたシイラ

———どのあたりまで行くんですか?

葉山のあたりから船を出して、伊豆の大島のほうまで走るんです。マグロやカツオとなると、淡水の魚とはまるでパワーが違う。「これはすごい!」というので、奨学金を貯めてはマグロやカツオが相模湾に回遊してくるシーズンの夏を待ちわびて釣りに行きました。そしてそこで、ぼくにとっての第3の出会いがあったのです。

———小学4年のときの釣りとの出会い、大泉での尺イワナ、尺ヤマメとの出会いに次ぐ、3度目の魚との出会いですね。

海のど真ん中で船を走らせているとき、野生のマグロの群れが通り抜けていくのを船の上から見たんですよ。真っ青に光ってめちゃくちゃキレイでした。日本語ではクロマグロ、黒いマグロですが、英語はブルーフィンツナ、青いヒレのマグロなんですね。なぜ名前が違うか分かります?

———いえ、どうしてでしょう?

日本人にとってマグロは食べ物だから、市場に並んだマグロを見てクロマグロとつけたんです。死んだマグロは真っ黒ですから。でも、生きているマグロをお日さまの下で見ると真っ青に輝いています。船の下を通り抜けていく青いマグロの大群を見たあの瞬間、ぼくの中ではマグロは野生動物になったんです。だから、たとえばアフリカのサバンナでライオンを見るのと同じような感覚で、マグロを捉えたというのがそのときの魚との出会いで、それが、今なぜサバにマグロを産ませようとしているかにつながっているんです。

1993年3月、卒業旅行で人生初の海外遠征。ミクロネシアのポナペにて(右端)

———博士号を取得したあとは、アメリカに留学されていますね。

テキサス工科大学に留学しました。魚の卵の成熟メカニズムを解明しようというプロジェクトで雇われたのですが、卵を成熟させるためにホルモンがどう働いているかを明らかにするのがぼくに与えられたテーマでした。

———研究はうまくいきましたか?

3年近くやって、結局うまくいかないまま終わりましたが、大きな発見もありました。卵のまわりには細胞層が薄皮のように張りついています。たとえば私たちは数の子の薄皮をはがして食べているでしょ? 実はあの薄皮が卵を養うために栄養を供給したり、ホルモンを分泌したりしているんです。ぼくはアメリカで、薄皮と卵の間にとても細いトンネルがあって、専門的にはギャップジャンクションといいますが、卵が成熟するときにはこのトンネルは閉じているけれど、成熟の準備をする段階でトンネルが開くことを発見しました。魚で初めてギャップジャンクションを構成しているタンパク質の遺伝子のクローニングに成功して、その遺伝子が卵の成熟の準備段階で一気に活性化されるのですが、遺伝子がうまく機能せずにトンネルが閉じると、卵は準備を整えることができず、成熟しなくなることを突き止めたのです。

———テキサスでの生活はどうでしたか?

ある日のこと、試験管を洗っていたら研究室のボスに怒られたことがありました。当時、日本では試験管とか実験に使うピペットのチップは、捨てるのはもったいないから一度使っても洗ってまた使うのが当たり前でした。ところがアメリカでは違う。使い捨てが当たり前。それだけじゃなくて、こうも言われました。「試験管を洗うためにあなたを雇ったんじゃない。考えるのがあなたの仕事で、考えたことをテクニシャンに指示するのがあなたの役割だ」というわけです。実験をやっていても怒られることがあり、「その実験はだれにでもできるんだから、やり方だけテクニシャンに教えて、あとは彼らにやらせればいい」というのです。

———分業が徹底されているのですね。

そういうふうにやれば効率がいいのは確かですが、逆にそれはぼくにとってはプレッシャーでした。日本人研究者によくありがちなんだけど、ぼくはどちらかというと技術をやってきた人間なので、スキルで勝ちたかった。人がクローニングできない遺伝子をクローニングできるとか、精製できないものを精製できるとか、そういうところって日本人は得意ですからね。でも、欧米の研究者のロジックからいえばそれではダメなんですよ。どんな実験を組み立てて、それがどういう意味があるかを考えるのが研究者の仕事。何か新しいことを考え出してそれがルーティンで動き始めたら、あとはテクニシャンに任せて、あなたは次のことを考えなさい、というのがボスのぼくへの要求でした。
大学院時代の教授からは研究の楽しさを教えてもらい、研究に人生をかけるのも悪くないぞと思うようになったけれど、研究の仕方はアメリカのボスに習ったと思っています。

テキサスのBig Bend国立公園で、ラボメイトとのキャンプ

学会参加のついでに立ち寄ったロッキーマウンテン国立公園にて。左端は当時のボス

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