公益財団法人テルモ生命科学振興財団

財団サイトへもどる

中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

サイト内検索

動力源はATP。DNAが制御する分子ロボットの可能性を求めて 北海道大学大学院理学研究院・北海道大学大学院総合化学院 准教授 角五 彰

ミオシンやキネシンといった生体分子モーターを組み上げて、ATPの化学エネルギーで駆動する世界最小の動力装置を開発したのが角五先生だ。この研究はその後、魚や鳥の群れの動きをヒントに、DNAの指令で動きをコントロールするナノサイズの分子ロボットへと発展。将来は、医療への応用はもちろん、分子ロボットによるコンピュータ開発の可能性もあるという。誰もやらないことにチャレンジする勇気が大切と語る角五先生に、これまでの研究者人生をうかがった。

profile

角五 彰(かくご・あきら)
東京生まれ。2003年北海道大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。04年同大学院理学研究科生物科学専攻助手。06年同大学院理学研究院生命理学部門助手(のち助教)。11年から同大学院理学研究院化学部門准教授。17-18年コロンビア大学生命医工学部客員研究員。12年科学技術分野文部科学大臣表彰若手研究者賞、16年高分子学会学術賞を受賞。

海辺の町で、魚の動きに魅せられた少年時代

———ご出身は東京ですね

生まれは東京ですが、父の仕事の関係で、育ったのは愛媛県の新居浜です。中学のときに千葉県に移り、大学から北海道に行きました。

———子ども時代の思い出を教えてください。

外で遊び回っていました。というか自然しか遊び相手がなかったという感じで、野山を駆け回って昆虫を捕ったり、海で魚と一緒に遊んだりしていました。

———新居浜は瀬戸内海に面していますよね。

そう、ダイビングや魚釣りが楽しかった! 魚の美しさにはいつも目を見張ったし、すばしっこくて、手には負えなかったなぁ。なかでもすごいと思ったのは群れて泳ぐ魚の動きです。今でも学会などで海辺の都市に出かけると、朝は必ず散歩して海を眺めているんですが、小さな魚がいろんなパターンで群れをつくって、大きめの魚がくるときれいに逃げていく。ああいうパターンがどうやって生まれるのかと興味がつきません。もちろん子どものころはそこまで考えてはおらず、何か不思議な行動をするなと感じていただけですが、それが今でも原体験として、強く記憶に残っていますね。

4歳のころ

———千葉に引っ越してからは?

釣りが好きだったので、やはり近くの海に釣りに行ったり、外で遊んでばかりいました。

———学校の勉強のほうはいかがでしたか?

理科と数学は好きでしたが、中学時代までは勉強はほとんどしてなかったですね。授業が終わったあとどうやって遊ぶか、どうやって魚を釣り上げてやるか、いつもそんなことばかり考えていました。

———高校に入ってからも同じですか?

部活に力を入れました。中学のときはテニス部でしたが、高校ではラグビー。ポジションはフォワードです。

———ラグビーを始めたきっかけがあったんですか。

足が少し速かったこともあって、やってみないかと誘われたんです。花園には行けなかったけれど千葉県内では強豪のチームで、練習はきつかったけれど楽しかった。やはりチーム一丸となってやるというのはいいものです。

———高校時代、好きな教科は?

中学時代と変わらず理数系、とくに理科はおもしろかった気がしますね。もののことわりというか、何でこうなるかということを理詰めで考えていくのが性に合っていたのだと思います。

———高校時代の思い出は何かありますか。

生物の時間に、生き物を扱った実験がしたいと先生に提案したら、お金もないし、なかなか時間もつくれないと言われました。それだったら自分たちで用意しようと、部活が終わったあとカエルを捕まえに行ったんです。クラス全員分のカエルを集めてきて、カリキュラムをちょっと変えてもらって、解剖しました。とても理解のある先生だったから実現できたわけで、その先生から理科のおもしろさを教えてもらいました。

———高校時代にほかに熱中したことは?

モノをつくるのが好きだったので工作機械をつくったり、魚のように動くものにも興味があったので、モーターを積んだヨットをつくって、水に浮かべてラジコンで動かしたりもしました。

———動くものの魅力とは?

動物ではなく、非生物的なものが動くのは、マジックみたいで子どものころは不思議でしょうがなかった。モーターがクルクル回ってどうしてあんなにスピードが出るのか、飽きずに見ていましたよ。

———中学・高校時代は、将来何になりたいと考えていましたか?

ものをつくるというか、手を動かして何か組み上げることに魅力を感じていました。だから将来的には、何かつくるような立場がいいなとぼんやり思っていましたが、当時は研究者になろうなどとはまるで考えてなかったですね。