公益財団法人テルモ生命科学振興財団

財団サイトへもどる

中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

サイト内検索

マンガdeひもとく生命科学のいま ドッキン!いのちの不思議調査隊

第8話 記憶を消す

調査のまとめドッキンレポート

記憶はどこに蓄えられる?

私たちの記憶はどこに貯蔵されているんだろう?
これまでの研究で、記憶はまず、脳の側頭葉にある「海馬」に蓄えられ、一定の期間が経つと、大脳皮質など海馬以外の場所で安定的に貯蔵されることが知られていた。でも、脳の中のどこに、どのタイミングで貯蔵されるのかまでは明らかではなかったんだって。「光を使って記憶を消す」という離れ業によってその謎に迫ったのが、後藤先生たちの研究ドキ。

「シナプス可塑性(かそせい)」という言葉を覚えておこう

光を使って記憶を消すってどういうこと?どんなタイミングで貯蔵されるのかな??頭の中が知りたい気持ちでいっぱいになるけど、後藤先生たちの研究を紹介する前に、記憶のメカニズムの基本を簡単にまとめてみたよ。

人間の脳には 1000 億もの神経細胞(ニューロン)があって、ネットワークを作っていることは知っているよね? 神経細胞同士のつながり方は、いろいろな出来事や学習によって変化していく。さまざまな体験によって、神経回路網が新たにできたり、つなぎ直されたり、なくなったりするんだ。

こうした回路網はどのように作られるんだろうか?
神経細胞同士のつなぎ目が「シナプス」だ。シナプス前部から後部に信号が伝わることで、ある神経細胞から別の神経細胞に情報が伝わっていく。シナプスでの情報の伝わりやすさは、刺激の大きさや頻度によって変化する。経験や学習によってシナプスの性質や形が変化してシナプス前部と後部のつながり(シナプス結合)が強化されると、信号の伝達効率がよくなるんだって。このようにシナプス結合の度合いが変化することを、ちょっと難しい言葉で「シナプス可塑性」と呼ぶから覚えておいてね。
そしてシナプス結合が強くなって、刺激がなくなったあともその状態がしばらく保たれる現象を「長期増強(LTP; Long-term potentiation)」という。

電気信号が神経細胞の軸索終末に到達すると、電気信号によって神経伝達物質が放出される。神経伝達物質がシナプス後部の樹状突起やスパインに存在する受容体に結合すると、化学物質による信号が、再び電気信号へと変換されて、情報が次のニューロンへと伝わっていく。

記憶形成に欠かせないタンパク質「コフィリン(cofilin)」

長期増強が起きているとき、神経細胞レベルでは興味深い変化が起きているよ。
信号の受け手となるシナプス後部の樹状突起側には、「スパイン」と呼ばれる1ミクロンほどの非常に小さいキノコ形をしたでっぱりがたくさん生えていて、学習などの繰り返し入力があると、このスパインが大きくなるんだって!
ここで重要な役割を果たすのが「コフィリン」というタンパク質ドキ。コフィリンは、スパインが大きくなるときにスパイン内にどっと集まってきて、細胞骨格のアクチンを形づくる。つまりコフィリンは、記憶形成に欠かせないタンパク質ってわけ。
後藤先生たちが目をつけたのが、このコフィリン。光を使ってコフィリンを働かないようにして、マウスの記憶が保たれるのかどうかを調べたんだ!

二光子顕微鏡によるスパインとコフィリンの観察。赤色がスパイン形態を、緑色がコフィリンの量を示している。スパイン増大とコフィリン集積が同時に起きている場所は黄色く見える。LTP後、スパインの増大とコフィリンの集積が見られる。
図版提供︓京都大学システム神経薬理

550-600nmの光でコフィリンがこわれる

光を使ってコフィリンを働かなくさせるにはどうするかというと…。
特定の波長の光(550-600nm)を当てると、活性酸素を放出して、ねらったタンパク質の機能を阻害する光増感タンパク質「SuperNova」を用意する。アデノ随伴ウイルス*を使って、SuperNovaとコフィリンが融合したタンパク質を脳内に発現させたマウスの脳に、直径 200ミクロンという非常に細い光ファイバーを刺して、海馬の真上からレーザーの光を当てると、コフィリンがこわれてスパインが小さくなってしまうというわけ。

*アデノ随伴ウイルス:遺伝子編集マウスをつくるときなど、ウイルスをねらった細胞に感染させることで、効率的に遺伝子を導入する方法がある。アデノウイルスはそういったウイルスの運び屋(ベクターという)の一つで、非病原性ウイルス由来で安全性が高く、導入遺伝子が長期にわたって発現する、広範な細胞に遺伝子導入できるなどの特長がある。

20分以内に光照射すると記憶が消えた!

マウスの記憶を調べるにあたっては、「Inhibitory Avoidance task」と呼ばれる恐怖条件付け実験を採用した。暗い部屋と明るい部屋をマウスが自由に行き来できるようにしておく。マウスは暗いところが好きなので、明るい部屋に入れると通常30秒以内に暗い部屋に移動するけれど、暗い部屋に入った直後に電気ショックを与えると、翌日再びマウスを明るい部屋に入れても、電気ショックという恐怖の記憶があるので、暗室になかなか入ろうとしない。
暗室に入るまでの時間の長さを調べることで、暗い部屋=電気ショックがある部屋と覚えているかどうかを判断することができるってわけドキ。

恐怖条件付け実験のイメージ

学習1分前、学習後2分、5分、10分、20分、60分、120分のマウスの海馬にそれぞれ光を当てて調べたところ、学習後20分以内の場合にはすぐに暗い部屋に移動した。恐怖の記憶が消えてしまったんだ!

ここで興味深いのは、記憶が消えるのが、学習後20分以内だということドキ。
「スパイン増大に関係しているタンパク質はいくつかあるんですが、コフィリンはスパインが大きくなるとき、すぐにわーっと流入してくるタンパク質なんですね。ただ、スパイン増大にコフィリンが必要なのは最初の20分だけで、それ以降はコフィリンは必要ありません。学習後20分以内なら記憶を消せるということがわかったことが、シナプス可塑性の起きている場所や時間を特定するという今回の研究につながりました」

記憶形成を抑制するのは、学習後20分以内の光照射ドキ♪
記憶の定着には睡眠が大事

次に、後藤先生たちは、海馬だけでなく、脳の「前帯状皮質」という場所に、さまざまなタイミングで光を当ててみた。すると、学習して1日経ってから再び寝たときに光を当てると記憶が消去されることがわかったという。つまり長期的に保存されるための記憶が、学習してから24時間後にはすでに皮質に移行しはじめているってことドキ。
「記憶がまず海馬で短期的に保存され、その後、海馬以外の場所で長期的に保存されることは100年前からいわれていましたが、実際に生きたマウスの海馬と皮質でシナプス長期抑制をして、行動レベルでシナプス長期増強の役割を実証したのは私たちの研究が初めてです」

この技術のスゴさは、記憶ができた瞬間を捉えられるところ

これまでも光で記憶を操作する研究はあったが、後藤先生たちの開発した研究はどこが画期的なんだろう?
後藤先生によると、これまでのチャネルロドプシンなどを使った研究*では、光照射によって、記憶そのものではなく神経細胞の活動(イオンチャネルの開閉)を操作していたのに対し、今回の研究はスパインという記憶そのもの(記憶に特異的な部分)を操作している。さらに、これまでの研究では記憶を形成した細胞を見つけるのに時間がかかっていたが、今回開発された技術では、広い範囲に光を当てれば、スパインが大きくなる細胞だけに影響を与えられる。つまり、記憶ができた瞬間にその記憶だけを光で消去でき、学習直後から、記憶に関する時間的な変化や、記憶に影響を与えている場所を、詳細に追跡して突き止められるところが画期的なんだって。

*チャネルロドプシンなどを使った研究:
マサチューセッツ工科大学の利根川進博士が2012年に行った実験では、マウスに恐怖条件付けをした際に活動した神経細胞群だけにチャネルロドプシンを発現させておき、その後、別の部屋でその細胞群に光刺激を与え、恐怖記憶を想起させることに成功した。光で記憶を操作する研究の代表例の一つ。

脳領域全体で記憶が作られる時間を探りたい

後藤先生は、今後はさらに広い脳領域を対象に、この技術を使って記憶が作られる謎を探っていきたいという。
「スパインが大きくなって記憶が形成されるというメカニズムは、記憶に関与する多くの脳領域で共通です。海馬と前帯状皮質だけでなく、記憶にかかわるさまざまな脳領域で記憶が形成されるタイミングを調べ、学習体験をした後の記憶がさまざまな脳領域でダイナミックに作られていく過程を明らかにしていきたい。とくに睡眠中に記憶が定着されている可能性が高いので、今回開発した技術の強みである『時間と場所を突き止められる』という特徴を活かして、睡眠中に記憶が定着していく過程を調べていこうと考えています」

睡眠と記憶の関係が詳しくわかるといいね!
PTSDや薬物中毒治療などへの応用も

今回はマウスを使っての研究だったけれど、今後こうした「記憶を消す」技術が応用できる可能性はあるんだろうか?
すぐに思い浮かぶのは、事故や生死にかかわるような大きなショックを受けたあとに、つらい記憶が蘇ってしまうPTSD(心的外傷後ストレス障害)などの治療に応用すること。また、薬物中毒なども、興奮性のシナプス伝達が増強するというシナプス可塑性が重要だといわれているので、同じような手法で治療ができるだろうとのこと。1000ナノメートルの高波長のレーザーなら、開頭手術をしなくても脳の深部に届くので、将来、光を使って特定の記憶を消す医療として登場するかもしれないね。

記憶研究の中で新しい貢献をしたい

後藤先生が記憶に興味を持ち始めたのは、高校生ぐらいからだそうだ。
京都大学に進学し、大学院で神経科学が研究できるラボを探していたときに、焼肉をおごってもらったことがきっかけで、イメージングで世界的な研究をしている松田道行教授のラボに進み、イメージングの研究をスタート。学位取得後は、分子レベルで記憶という行動を理解したいと現在の林康紀先生のラボに入った。
「林先生はシナプス可塑性という細胞レベルでの記憶現象の専門家です。私はイメージング技術を使って、実際のマウスの行動レベルで記憶がどう作られていくかを説明したいと研究を続け、今回の研究にたどりつきました」
研究のおもしろさを感じるのは、データが集まってきてストーリーができ上がっていくプロセスだという。
「ラボの外の研究者と議論するときや、学会での発表や論文が出て反響があったとき、そして記憶研究で新しい貢献ができて、自分の研究の意義を感じられるときに喜びを感じますね」

記憶や脳に興味のある中高校生におすすめの本を
教えてもらったよ!

立花隆/著
『脳を究める―脳研究最前線』

(朝日文庫 2001年2月刊)

後藤先生が学生のころ読んでいたという本。20 年以上前の本なので、最前線ではないけれど、重要な研究が分かりやすく解説されている。親本は 1996年発行。

河西 春郎/監修
『東京大学の先生伝授
文系のためのめっちゃやさしい脳』

(ニュートンプレス 2022年3月刊)

脳の基本構造に始まり、神経細胞のはたらき、脳の進化、記憶や喜怒哀楽、運動の司令塔としての脳、天才たちの脳、アルツハイマー病や脳卒中、うつ病などの脳の病気まで。「脳」について、生徒と先生の対話を通してやさしく解説。監修は、2光子顕微鏡を用いて、スパインが学習に伴って素早くその形態と機能を変えることを発見した河西春郎先生。

エリック R.カンデルほか/著 日本語版監修/宮下保司
『カンデル神経科学(第2版)』

(メディカルサイエンスインターナショナル 2022年9月刊)

2021 年に改訂出版された原書、“Principles of Neural Sciences, Sixth Edition”の翻訳版。概論に始まり、神経系の分子メカニズム、発生、末梢・中枢神経系、高次機能、精神・神経疾患の基礎のほか、ブレイン・マシン・インターフェースや情報工学系の項目が強化されている。光遺伝学やイメージング技術などの最新データもあり、「脳科学」のいまを知る教科書といえる。脳科学の第一人者が各パートを監訳しており、内容の信頼性は高い。初心者にはちょっと難しいけれど、興味を持ったパートから読み進めるとよいだろう。

このほか、生命科学 DOKIDOKI 研究室の次の記事も読んでみてね!

(取材・文:「生命科学DOKIDOKI研究室」編集 高城佐知子)

マンガのページにもどる

この記事をみんなにシェアしよう!