第41回 生きた個体の細胞内情報伝達系を可視化して細胞の「こころ」を読む 京都大学大学院 医学研究科病態生物医学/生命科学研究科生体制御学 松田 道行 教授
Profile
松田道行(まつだ・みちゆき)
1958年鹿児島県生まれ。1983年東京大学医学部卒業。1987年東京大学大学院医学研究科第3基礎医学専門課程(病理学)修了。同年、国立予防衛生研究所(現・国際感染症研究所)に勤務し、1988~90年米国ロックフェラー大学留学。1996年国立国際医療センター研究所 臨床病理研究部長、2001年大阪大学微生物病研究所腫瘍ウイルス分野教授を経て、2006 年より現職。専門はシグナル伝達のイメージング。趣味は登山。
───子どものころはどこで育ったのですか。
父が刑務官で2~3年ごとに転勤がありました。生まれたのは奄美大島ですが、記憶にはありません。すぐに鹿児島市内に転勤になって、天草で3年間過ごした後、小学校の入学時には熊本市に移りました。小学4年から中学2年生までを鹿児島で過ごし、その後、宮崎県の都城へ。父の転勤にともない、九州の南部地域を中心に転々としていたわけです。
───すると転校続きで、新しい環境に慣れるのが大変だったのでは・・・?
いえ、刑務官の場合、どこに転勤しても構内の官舎に住みますから、似たような閉鎖環境なんです。まわりの友だちも官舎つながりで、同じような家庭環境の子どもばかりです。2、3年ごとに転校があって、仲良くしていた友だちと別れるのはごく普通のことだと、当時は思っていました。
───鹿児島の小学校時代は、どんなことをして過ごしていましたか。
海まで自転車で行ける距離だったので、鹿児島湾の海水浴場まで自転車で出かけて泳いでいました。当時は小学生が塾に通うというのはそれほど一般的ではなく、塾なんかに行くのはむしろ、「勉強ができないから補習に行くのだ」くらいに思われていた(笑)。「少年少女世界文学全集」のような本も読みましたが、科学者の伝記などにはあまり興味がなく、将来、研究者や科学者になりたいなどとは考えたこともありませんでしたね。
小・中学校時代はボーイスカウトに入っていて、野外でテントを張ったり、ロープの結び方を覚えたり、結構楽しかった。高校、大学と山岳部に入ったのは、そんな影響もあったのかもしれません。
───勉強の方はいかがでしたか。
小学生に入ったころは、理科はたしか4だったと思うけれど、ほとんどが5段階評価の3じゃなかったかな。学校の教育レベルも普通だったし、私の成績も普通でしたね。
そんな中で印象に残っているのは、小学校5年生のときの担任の先生が、私立中学校の入試問題を集めたような難しい参考書を、私を含めた3人に与えてくれたことでした。なかなか解けない算数の問題が解けたときは快感でした。そんなこともあってか、小学校5、6年生のころから成績が良くなりましたね。
───中学校は地元の公立校に進んだのですか。
はい。入学した鹿児島市立城西中学校は、1学年に生徒が900人もいる超マンモス校で、日本一大きな中学校だといわれていました。なにしろ、1学年だけで21クラスあったんですから。中3のときに、都城の中学校に移りました。
▲幼稚園のころ。祖父の葬式で奄美大島に帰る途中に鹿児島で撮影