───転校続きとなると、どの高校を選ぶかは悩ましいですよね。
中学生までは2、3年ごとに転校してもそれほど問題はないのですが、高校になるとそんなに簡単に編入できないため、高校選びは慎重にする必要がありました。自分でいろいろ考えて、九州の優秀な私立高校で知られるラ・サールを目指すことにしました。両親は「私立だからお金もかかるけれど、行きたいなら思う通りにすればよい」という感じで、全面的に賛成というわけではなかったけれど、反対もしませんでしたね。
中学3年の夏前にラ・サールと決めてからは、それまで漫然と勉強していたのが、自分で問題集を買い揃え、きっちり計画を立てて、スイッチが切り替わったように猛勉強しました。
───見事合格して、寮暮らしが始まるなど、環境が変わったのでは?
ええ。環境が変わったという意味では、人生でいちばん変わったと思います。ラ・サールは、地元の鹿児島よりも福岡や大阪から来ている生徒の方がはるかに多く、熊本や都城などの官舎で暮らしていた私にとっては、これまで会ったことがない人種と触れ合うことになり、強烈な影響を受けました。
男子校で100人中90人以上が寮生活、1年生のときは2段ベッドが40個くらい並べられたところで寝るし、同じように小さな机がずらっと並んでいる部屋で勉強する、プライバシーなんてものはないに等しい(笑)。2年生になってやっと個室が与えられるのです。まあ、面白かったですけどね。
───部活などは?
私は山岳部に入って夏は北アルプスなどに登りました。結構レベルが高くて、インターハイの県予選では2位になりました。登山でインターハイというと、いったいどんなことを競うのか疑問に思われるかもしれませんが、体力や歩行技術だけでなく、安全な登山に必要な設営や装備、また気象や読図・地形・植生等に関する基礎知識などをチームで競い合うのです。
───勉強には一生懸命取り組んだ方ですか。
家がそれほど裕福なわけではないのに、学費や親元を離れての生活費を出してもらっているので、一生懸命勉強しなければと思っていました。山岳部の活動にも力は入れていましたが、それ以外はひたすら勉強に打ち込んでいた3年間でした。
───そんな中で大学は医学部に進むことを選択したわけですね。
父は東大に行くなら法学部の方がいいのではないかと言っていましたが、私は対人関係や社会との関係を考える分野より、一人で勝負できる研究生活の方が自分に合っているように感じて、医学部を志望しました。高校生のころは臨床医と研究医の区別や、それぞれのキャリア形成ステップの違いなどわかっていませんでしたから、とにかく人の病気を治せる研究ができる医学部に進学しようと思ったわけです。