この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第11回 独自のアプローチでクローン技術の再生医学への応用をめざす (独)理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター ゲノム・リプログラミング研究チーム チームリーダー 若山照彦 先生

大先生に隠れてクローンの研究をはじめる

───それでも、研究者になる夢はあきらめなかったのですね。

そのまま大学院へ進学しました。しかし、大学院生では核移植をテーマにするのにはむずかしすぎたし、指導してくれる先生もいなかった。でもなんとかして将来の核移植につながる研究の基礎となることをやってみたいと考えていたところ、大学の近くにつくば学園研究都市があり、そこの国立家畜衛生試験場(現・独立行政法人動物衛生研究所)で、ネズミの世話をするなら来てもいいというので、大学院に籍を置いたまま通うことにしたんです。
すごい数のネズミの世話をしましたよ。月曜日から金曜日まで午前中はネズミの世話、午後は犬とか動物の世話をするんです。でも、朝の6時から9時までと、午後5時以降は自分の研究の時間に使えたんです。なにしろ、ネズミは自由に使えるし、設備も整っていたからありがたかったですね。ここで後から役に立つネズミの扱い方を覚えることができました。

───その後、めざす核移植の研究をするためにどうしたのですか?

私の研究履歴はちょっと複雑で、つくばの試験場にいるときに、私のネズミの世話ぶりを見て信用してくれたのでしょうか、室長が東大獣医学科の研究室を紹介してくれました。そこの博士課程の大学院生だったとき国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)に行って、核移植に必要なマイクロマニピュレーターに初めて触ることができたんです。

───マイクロマニピュレーターってどんなものなんですか。

これは顕微鏡に搭載して、細胞などごく小さなものの実験操作を行うときに使うマシーンです。顕微鏡で細胞などを見ながら、手元のジョイステックを操作して、細胞に孔(あな)を開けるなど、高い精度が要求される作業ができます。
今でこそ少し値段は下がったけれど、当時はどこにでもあるものではなく、研究者にとっては高峯の花で、その研究所でも特別な部屋に置いてありました。ここで1年間、核移植に必要なマイクロマニピュレーターの操作の基本スキルを身につけることができたのは、その後の研究を進める上で非常に大きな意味を持ちました。ただ、ここでもマシーンの操作技術は身につけたけれど、核移植そのものの研究はしていませんでした。

───研究の転機はいつのことですか。

1996年にハワイ大学に留学し、受精学の世界的な権威である柳町隆造教授の下で研究していたときですね。柳町先生の研究室に入ったのは、核移植の研究をするためではなく、顕微鏡を見ながら、人工的に卵子に精子を入れる顕微授精など、受精の研究をしようと考えたからなんです。
そうしたところ、1997年にクローン羊の「ドリー」誕生のニュースが世界を驚かせました。哺乳動物は通常、母親の卵子と父親の精子が出あって、つまり受精して生命が誕生します。一対のオスとメスからそれぞれの遺伝子を受け継ぐので、親と全く同じ遺伝子をもった生命は誕生しませんね。けれど、ドリーは成長した羊のからだの細胞から遺伝子情報の入った核を取り、それを未受精卵に移植して、親と全く同じ遺伝子を持った「クローン羊」として誕生したんです。体細胞クローンは不可能だと思って誰もがやらなかったことを成し遂げたのがドリーでした。
私は、ドリーをつくったグループが発表した論文を読んで、マイクロマニピュレーターを使えば、マウスの体細胞クローンだってできるんじゃないかと考えたのです。

───いよいよ念願の核移植の研究を進めたわけですね。

いや、それがですね、柳町先生に「クローンの研究をしたい」と申し出たら、「だめ」と言われたんです。それはそうですよね、柳町先生が研究しているのは、雄の精子と雌の卵子を結合させる受精の研究で、体細胞クローンは生物学的には正反対に位置するテーマですから。
でも、私はあきらめなかった。顕微授精の研究とクローン研究では、マニピュレーターを使っている分には外見は全く見分けがつかないんです。柳町先生に隠れて、顕微授精の研究をするふりをして、実際にはマウスのクローンをつくる研究をしていたんです(笑)。

写真:ハワイ留学中

ハワイの山で撮影。留学中は様々な国の研究者と知り合いになれた。左からイギリス人、ポーランド人、スイス人、日本人(私)。

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