この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」 第11回 独自のアプローチでクローン技術の再生医学への応用をめざす (独)理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター ゲノム・リプログラミング研究チーム チームリーダー 若山照彦 先生
Profile
若山 照彦(わかやま・てるひこ)
1990年茨城大学農学部畜産学科育種繁殖学を卒業。1992年茨城大学大学院農学研究科畜産学専攻修士課程修了、1996年東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻博士課程修了、博士 (農学)。1996年、ハワイ大学に留学し、柳町隆造・ハワイ大学医学部教授のもとで世界初の体細胞クローンマウスの誕生に成功。1998年ハワイ大学医学部助教授、1999年ロックフェラー大学助教授を経て、2001より現職。2008年凍結保存したマウス死体からのクローン個体作成に成功したほか、微小重力の宇宙空間での体外受精と胚の初期発生の研究など、精力的に研究を続けている。
───どこで子ども時代を過ごしたのですか。
神奈川県の横須賀です。横須賀は三浦半島の先端にあって、山と海に恵まれたところですが、私の自宅はちょうど山の中腹あたりに建てられた新興住宅地にありました。すぐ裏には山があり、そこにはトウキョウサンショウウオなどが棲む川も流れていました。そこで、サンショウウオを捕ったりカエルをつかまえたり、自然児そのものの毎日でした。
───サンショウウオって、そんなに簡単に捕まえることができるんですか。
大人のサンショウウオは捕まえるのがむずかしいので、川の水がたまったところに産みつけられた卵を捕ってきてそれを育てるんです。それが毎年3月の大イベント! 捕った卵は、そのまま水槽の中に2~3週間入れておくと孵化します。幼生の間の餌は、近くのペット屋さんで買ったイトミミズ。水槽の中に入れておくと勝手に食べて育つのですが、やがて変態して手足が生えてくる頃になると、水の中から陸に上がって生活し始めます。その時期には餌をハエなどに変えなければならないんですが、おいそれとハエは手に入りません。そこでイトミミズをピンセットでつまんで無理に食べさせるわけですが、そんなにうまくいかなくて、大人になりきる前にたいていのサンショウウオは死んでしまいました(苦笑)
───山の中で育ったおかげで、生き物には興味があったのですね。
遊びといえば山でオタマジャクシ、セミやカブトムシを捕ることでした。植物を育てるのも好きでしたよ。家の庭にナスとかトマトの苗を植えて、山から土を運んできて育てたり。自然相手の遊び以外は興味がわかなくてね。両親がすすめる書道教室とか、ソロバン教室とかは、まったくおもしろくなかったですね(笑)。
───学校の勉強はできたんですか?
それがひどいもので(笑)。小学校の通信簿は1こそなかったけれど、ほとんどが2、たまに3があるくらい。6年間の間に4をとれたのはたった1回、家庭科でチリトリとかを作ったときぐらいでした。正直に言うと勉強が好きじゃなかったんですよ。勉強しないから勉強する方法も分からなかったし。
両親はそんなわけだから高校に進学できるとは思っていなかったんです。中学を卒業したら職業訓練校に通って将来は大工さんになれればいいね、って私に話しかけていたくらいでした。
───スポーツはどうだったんですか。
山で木登りをしたりして遊んでいましたから体力はあって、懸垂なんか10回もできましたね。でも脚が遅くて体育の成績は良くなかった。父親が地域の野球チームを発足した関係で、仕方なく野球をしていたけれど、別に好きでやっていたわけじゃなかったですね。高校に入ってからは、父親の影響もあって柔道部に入りましたけど。
▲ 家の池で金魚やカエルを飼っていた。写真中央で魚を持っているのが兄。当時は動物に興味はあるものの臆病でなかなか触れなかった。