この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第18回 生きた神経細胞の活動を目で耳で体感した感激が忘れられない。独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター 行動神経生理学研究チーム チームリーダー 村山 正宜

新聞配達をしながら猛勉強した浪人時代

───浪人時代はひたすら勉強したのでしょうね。

ところが、実は私の人生いろいろありまして(笑)。勉強一筋というわけにはいきませんでした。少し前にさかのぼりますが、中学3年生の時、父親が経営していた服飾関係の会社がバブル経済の破たんの影響を受けて倒産してしまった。それまでは両親にソコソコの暮らしをさせてもらっていたので、天国から奈落の底にまっさかさまという感じでしたね。あるときなど、借金取りが来るというので、家族全員でプチ夜逃げしたこともありました(笑)。
このような経済的な理由もあって国立大学に進学したかったのだけれど、なにしろ高校時代に勉強していなかったので、5教科を1年で合格レベルまで引き上げるのは難しかった。そこで英語、数学、生物の3教科で受験できる私立の理科系大学にターゲットを絞りました。私立大学に進学するためには学費がかかりますし、予備校の学費も必要です。そこで、新聞奨学生として新聞配達をしながら学費を稼ぎながら学ぶことにしました。

───新聞配達しながらの予備校通いは大変だったのでは。

ええ、予備校から帰って、夜8時に寝て午前1時に起き、販売店で新聞の折り込みをしてから配達に出かけます。朝の6時頃配達を終えて、9時半から予備校の授業に出るわけです。この6時から9時半の間に時間がぽっかりあくので、その間に勉強をしようとするのですが、眠たくて仕方がない。英単語を覚えるとき、眠らないようにシャープペンの芯を太股に刺しながら単語を覚えていました(笑)。
新聞配達そのものも大変で。とくに雨の日は最悪でした。配達先から希望があると、ビニールの袋に新聞を入れるのですが、このビニール袋が雨で滑るんです。バイクの荷台に乗せた新聞が滑って落ちてしまうと、ビニールの袋に入れていない新聞がびしょびしょに濡れて配達できなくなってしまう。また販売所に戻って新しい新聞に取り換えて配達するのだけれど、本当に辛かった。雪の日など、泣きながら配達したこともありました。今でも、新聞を配っていた時のルートを夢に見るくらいです。
そんな辛いときは、ミスターチルドレンの「花」の歌詞を口ずさんで自分を励ましたりしました。「負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう」って(笑)。でも、悪いことばかりではなく、そんな僕をかわいそうに思ったのでしょう、夕刊配達の時、肉屋のおばちゃんが、唐揚げをくれたこともありました(笑)。たくさんの人達に支えていただきながら非常に貴重な時間を過ごすことができました。

───最終的に大学を決めたのはどんな理由からでしたか。

東京薬科大学は、日本で最初に生命科学部を創設した大学で、理学、工学、薬学、医学が総合的に学べるし、幅広く研究できそうだと思ったのです。もちろん、大学に入る前に専門分野をきちんと決めていたわけではなかったけれど、おおまかな方向性を決めて、大学に入ってから自分がやりたい研究分野を探せばいいと考えていました。

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