この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第18回 生きた神経細胞の活動を目で耳で体感した感激が忘れられない。独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター 行動神経生理学研究チーム チームリーダー 村山 正宜

神経生理学を研究したい

───大学ではどんなことを学んだのでしょう。

3年生になって本格的に神経生理学を学び、脳の神経細胞の活動を研究しました。
すべての細胞は細胞膜をはさんで細胞の内と外とでイオンの組成が異なっており濃度勾配によって電位差ができます。この電位のことを「膜電位」ということは高校で習いますよね。神経細胞は、ほかの細胞に比べてこの膜電位が素早く変化します。神経細胞は興奮すると、1ミリ秒(1秒の1000分の1)もの短い時間に細胞内部の電位がプラスに変化し、またすぐにマイナスに戻ります。この活動電位によって、細胞間の情報伝達が行われているのです。こうした膜電位の発生メカニズムや、薬で神経活動をブロックできることを学び、神経活動と心の関係についてさらに深く研究してみたいと、大学院への進学を決意しました。
といっても大学でも好きな教科しか勉強せず、相変わらずサッカーに明け暮れていましたから、院試に向けてまた猛勉強をしました。

───大学院に行って、研究者としてやっていけるという自信はあったのでしょうか。

新聞配達をやった経験から、研究者に限らず、どんな仕事に就いてもやっていけるという自信がありました。同じ新聞配達をしていた人が年収1000万円ほど稼いでいました。これは、僕も頑張ればそれくらい稼げるという証拠ですから、研究者がだめなら新聞配達をやって生きていこうと思いました(笑)。そういう意味でも、新聞配達の経験は、僕にとってすごく大きな意味を持っています。
ただ、大学院の時は、ちょっと悲しいこともありました。修士課程の時、母親ががんになってしまいました。僕には妹が二人いて、長男だから働いて家計を支えなければと考えましたが、両親は「大学院にはちゃんと行かせてやるから、しっかり勉強しろ」と言ってくれました。その時、上から二人目の妹はそれまで通っていた専門学校を、僕の学費のために辞めてしまったのです。また、これは僕が留学中に知ったことですが、その妹は、乗っていた軽自動車を売って僕の学費の一部に充てていたそうです。
お金にまつわる話ならまだあるんですよ(笑)。大学院に入学するとき入学金が足りなくて、指導教授が無期限、無利子で40万円も貸してくれました。

───大学院時代の研究で印象に残ったことがあったらお聞かせください。

博士課程2年生の時、アメリカのニュージャージー州のラトガース大学に1カ月間ほど滞在させていただき、そこで生きたラットを使って脳の神経活動を記録する手法を学ぶことができました。それまでは脳スライス標本を使って神経活動の同期メカニズムを研究していたのですが、脳スライス標本では細胞自体は生きていますが活動は停止している状態で、薬をかけて無理やり活動させるため、実際の脳活動そのものを観察しているわけではないという不満がありました。それが、ここでは生きたままの動物の脳から単一細胞の膜電位活動をとることができるのです!モニタに映るダイナミックな活動を音に変換すると、ラットの神経がバリバリバリバリと活動しているのが伝わってきます。「これが神経細胞の生の活動か」と、その感動は今も忘れることができません。
これは、どうしても中高校生のみなさんに伝えておきたいのだけれど、研究生活を続けていると、そのときどきですばらしい感動体験に出会うことができます。そんな感動体験があるからこそ、研究がやめられなくなる、病みつきになるのです。ラトガース大学でのこの体験は、そんな研究生活の感動体験の一つでしたね。そして、脳スライス標本ではなく、生きた動物を使って脳の活動をリアルタイムで観察する研究を進めようと考えるターニングポイントになりました。

───生きた脳の活動を調べるために、どのように研究を進めたのですか。

光ファイバーを使って神経細胞の活動の記録をとる研究にチャレンジしました。光ファイバーを使ったのは、細胞のある部分(樹状突起)に局所的に光を当てるのに適していることと、柔軟な素材なので生きた動物の脳神経細胞の活動を観察し、記録するには適していると思ったからでした。けれども、光ファイバーを使って神経活動をとるのは、成功するかどうかわからない研究でした。
この頃は、また、いろいろありましてね(笑)。博士課程2年の時に結婚したのですが、その相手というのが小学校時代の同級生で、初恋の人だった。小学4年の時、彼女が転校してきたんですが、初めて朝礼台に立って挨拶するのを見て、「オー!」と一目ぼれしたんです(笑)。博士3年生の時にその彼女(妻)が、僕がお金がないのを知って、光ファイバーを使った研究をするための資金として30万円貸してくれました(笑)。
その資金で光ファイバーやドイツの会社から特別なレンズなどを買って、夜な夜な実験をして、どうにかうまくいったんですが、この研究に興味を持ってくれたのが、スイスのベルン大学のラーカム教授でした。それで、僕もラーカム教授と一緒に研究がしたいと申し出たんですが、当時、ラーカム教授には研究費がなくて、僕を呼ぶことができなかった。そこで教授がベルン大学の学部長にかけあってお給料を捻出してくれまして、ベルン大学に博士研究員として留学することになりました。

PAGE TOPへ
ALUSES mail