この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

臨床医から骨肉腫の研究をめざして大学院に進学

───整形外科を選んだのはなぜですか。

ひとつの出来事が関係しています。私は大学に入ってからも医学部のラグビー部に入部して練習を重ねていたのですが、4年の夏の練習試合中に友人が頸髄を損傷する事故が起きてしまったのです。不幸なことに、その後合併症を併発して亡くなりました。その体験から脊髄損傷の治療について深く考えるようになったこと、私自身も何度か骨折した経験があることや父が整形外科医であったことなどから、整形外科医への道を進もうと考えたのです。その友人のことは、私の人生の中でも忘れられない出来事です。

───臨床医と同時に、研究者をめざすようになったのは。

医学部を卒業後、京都大学医学部附属病院に研修医として入局してすぐの6月に、骨のがんである骨肉腫を患っている中学生の男の子を診ることになり、1年間くらいつきあうことになりました。骨肉腫は日本では年間二〜三百例くらいしか発生しない、胃がんや肺がんなどに比べて非常に少ないがんですが、若い年齢層に多く発生し、治療が難しいがんとして知られています。骨肉腫の専門の先生に指導を受けながら、患者さんのデータをまとめて学会で研究論文を発表したところ、評価を受けることができました。また、手術方法を検討するために海外の論文などを読んだりするうちに、次第に骨肉腫や骨に関係のある病気についてもっと研究したい、臨床の現場で出合う基礎を深めたいと思うようになり、大学院に入ることにしたのです。

───大学院では研究一筋だったのですか。
佐々木正夫先生と

佐々木正夫先生と

当時、分野によって多少違いはあったと思いますが、整形外科では、大学院に入ると臨床から離れて研究に専念することになっていました。
ちょうど、その頃から分子生物学が盛んになり、それまでがんがどのように発生するのか理論的に解明されていなかったのが、がんは遺伝子の変異で起きることが分かってくるなど、新しいがん研究が進展してきた時代でした。
あるとき、京都大学放射線生物研究センターの佐々木正夫先生の講義を受ける機会がありました。先生は遺伝病における染色体の変異の研究や、被爆者の染色体分析などで世界的業績を上げた方ですが、同時に主に乳幼児に発生する網膜芽細胞腫の染色体解析の研究に取り組んでおられました。
網膜芽細胞腫は遺伝性のがんで、私たちが持っている染色体の中の13番染色体にある、がん抑制遺伝子の異常によって起きる病気です。そして網膜芽細胞腫にかかった人は、多くの場合、骨肉腫になることがあるのです。佐々木先生の講義でこのことを知り、私は骨肉腫ががん抑制遺伝子の変異に関係していることや、遺伝子で骨肉腫が分かることに衝撃を受けました。そこで、その講義が終わったあとですぐに、「先生の研究室で研究したい」と訴えたのです。そのときは許可してもらえなかったのですが、大学院の2年生になってから佐々木先生の研究室に潜り込んで、骨肉腫について研究を続けました。
大学院修了後も約3年間、米国でがん抑制遺伝子の研究をし、帰国後に再び臨床現場に戻ったわけです。

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