この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

工学部から医学部に志望変更

───高校生活はいかがでした。

高校は、熊本県でも有数の進学校である熊本高校に進学しました。もとは男子校で女子は1~2割程度しかいませんでした。当時の熊本高校は、いまの若い人に言っても分からないかもしれませんが、ちょっと野蛮なフリをしてかっこつける「バンカラ」な校風でした。男子生徒の中には、髪の毛をすごく長く伸ばして、下駄をはいて登校する子もいたんですよ(笑)。

───最初から医学部への進学をめざしたのですか。

いいえ、物理や数学が好きでしたので、最初は工学部に行こうと思っていました。でも先生から、「女子が工学部の土木科なんかに入っても、卒業して就職するのも大変だし、もし、就職できたとしても、土木工事のおじさんたちをまとめきれないでしょう」と言われて、それもそうだな、と(笑)。
医者になればずっと仕事が続けられるし、それに人の命を助ける仕事にも魅力を感じて、医学部を受けることにしました。そうそう、高校生のとき、医者になるのもいいなあと思ったことがありました。中学校からの友人のお母さんが小児科の医師で、普段は働いているので授業参観日に来校できなかったのですが、ある日、授業参観に来られたのです。教室の後ろに立っているその姿がとてもかっこよく見えて、「医者になるなら小児科医がいいなあ」と思ったのを覚えています。
医学部を選ぶにあたって、東京の大学に行きたいと考え、昭和大学医学部を受験し、入学することになりました。

───高校時代に何か印象に残っていることがありましたか。

ちょうど私が青春時代を過ごした時代は、「シラケ世代」と言われていたのです。物事に熱中したり、情熱を燃やさない世代だと。私たちの前の世代の人たちが政治に関心を持って、学園紛争やデモに行ったりしていたので、それに比べるとさめているように感じられたのだろうと思います。
でも、私は、そんなふうに一括りにされることに違和感を持っていました。私たちの世代は私たちなりに一生懸命生きているのにって。

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