この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

赤ちゃんの命に直結する人工呼吸器を研究

───大学では希望通り小児科を専攻したのですか。

ええ、当時、昭和大学病院には、日本で初めて新生児用の集中治療センター(NICU)をつくられた奥山和男先生が移ってこられて、私も学生のときに病院実習で実際にNICUでの治療を体験して感動し、小児科医としてやっていこうと決めました。
大学を卒業して2年目に葛飾日赤で研修をしました。当時は地域の産院や小規模の産婦人科で未熟児が生まれたり、赤ちゃんが仮死状態だったりすると、「赤ちゃんが泣かない」などと夜中に電話がかかってくるのです。そうすると、救急車に保育器を積んでその未熟児の赤ちゃんを迎えに行き、連れて帰って集中治療室で治療するのが仕事でした。
そんなことから小児科は当直の中でもいちばんたいへんでしたが、赤ちゃんの命を助けているという実感はありました。

───当時は臨床医と研究の両方をやっていたのですか。

ええ、臨床医をすると同時に、国立小児(現在の成育)医療研究センターの宮坂勝之先生の研究室で人工呼吸器の研究をしていました。というのは、未熟児で生まれた赤ちゃんは、呼吸ができないので人工呼吸器での集中治療が必要になります。私は、肺に振動をかけてその振動によって肺の隅々まで換気ができる高頻度振動換気法 (HFO)という新しいシステムの研究開発に従事しました。
未熟児などが入院してきたとき、人工呼吸器であまり肺に圧力をかけると、肺がぼろぼろになって壊れてしまうというリスクがありました。HFOは肺にやさしい人工呼吸なので、肺に与えるダメージが少ないのです。ほかの治療法では助けられなかった未熟児が、この呼吸法のシステムを導入したことで、生命予後が改善したという報告もありました。
それで、私はもっと人工呼吸器について研究したいと考え、宮坂先生も留学されたことのあるカナダのトロント大学に留学しました。

───トロント大学ではどんな研究をしていたのですか。

一つには、日本で行っていた人工呼吸器の研究を続けていました。それと、私がトロント大学に留学した頃は、ヒトの遺伝子の塩基配列が解読され、その遺伝子情報に基づいてどんなタンパク質やRNA機能が病気とかかわりがあるかなどを、多くの研究者や医療に携わる人が知りたいと思うようになっていた時代でした。いわゆる「ポストゲノム」といわれる時代ですが、私も医学部の学生の頃から、ある特定の遺伝子を欠損させたノックアウトマウスはどんな病気にかかるのかに興味を持っていました。
そんな折、2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS)が中国で発生し、2003年にトロントにも感染が拡大したのです。それで、町中大騒ぎになっていました。SARSは、SARSコロナウイルスの飛沫感染によって広まるもので、ウイルスが感染する際には、そのウイルスと結合する細胞側の受容体(レセプター)が重要な働きをします。SARSでは、ACE2という酵素が原因ウイルスの受容体であることが明らかになっていて、私はノックアウトマウスを使って、ウイルスの受容体の研究を進めていきました。
その研究が現在のテーマである重症型インフルエンザウイルスの研究に発展していったのです。

トロント留学中のボスSlutsky先生(一番右)と奥様(右から2番目)とともに

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トロントのポスドク仲間ジョアンナとともに、ローマのトレビの泉へ

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