この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

希望通り、東大の生物化学科へ

───大学選びで迷うことはなかったのですか。

私が通っていた高校は1学年5クラスのうち、理系が3クラスで、かなり多くの生徒が医学部や歯学部に進学しました。私も両親から医学部に進学するように勧められたのですが、「私は人間に興味はないから」と言って、遺伝子の研究ができる大学に進みたいと考えました。当時、分子レベルの遺伝子工学の研究ができる大学は限られていて、中村桂子先生が学んだ東大の理科Ⅱ類に進学しました。

───大学時代は研究漬けだったのですか?
馬術部の試合にて(東京・世田谷の馬事公苑)

馬術部の試合にて(東京・世田谷の馬事公苑)

大学では馬術部に入りました、馬の形が美しいので、以前から乗馬に憧れていたのです。
馬場は駒場から1時間ほど離れた三鷹の天文台の隣にあったので、朝、始発で出かけ馬の世話をしてから駒場に行くと、すでに2時間目が始まっていました。早起きしているので、授業中はつい眠くて寝てしまう。研究者になろうと志が高かったわりには、あまり真面目ではなかったですね(笑)。
東大は2年の後期に進学振り分けがあって3年次からの専門が決まるシステムです。私が希望していた理学部の生物化学科は、人気が高いのに定員が22人と枠が狭く、平均点が80点前後でないと進めない狭き門でした。なので、試験期間は必死に勉強し、なんとか希望通り生物化学科に進学することができました。
3年生になると実験がたいへんになり、下宿をしました。この頃にはもう、大学院に進んで博士号を取ろうと考えていたのですが、馬術部の魅力も捨てがたく、4年秋まで活動していたので、同級生には「今年、院試に落ちるとしたら杉本だ」と言われていました。

───生物化学科ではどんな研究室に所属したのでしょう。

タバコモザイクウイルスの研究をしている岡田吉美先生の研究室に入り、遺伝子操作の手法を使ってRNAウイルスの研究をしました。大学院では山本正幸先生のもとで、当時遺伝学研究のもっともすぐれたモデル生物であった酵母の研究に取り組みました。
酵母は体細胞分裂と減数分裂の2通りの分裂のしくみを持っています。通常は体細胞分裂をしてもとの細胞と同じ染色体の組み合わせを持つ細胞が2つできるのですが、栄養状態が悪くなると、お互いを誘導するフェロモンを出し合って接合し、2倍体細胞となって減数分裂をして胞子をつくります。体細胞分裂から減数分裂に切り替わる際にどんな遺伝子のスイッチが入るのかを解析し、突き止めることができました。

───その後、酵母から線虫へと研究対象を変えたのはどうしてですか。

私は一貫して、受精から胚発生、そして生物の形が完成していくプロセスで、どのように細胞の運命が決定されていくのかに興味を持っていました。酵母のような単純な生物からでも、減数分裂という多細胞生物にも共通した普遍的な原理を見つけることができるわけですが、酵母の場合は細胞の運命は分裂するか胞子を作るかしかないんですね。そこで、博士課程後期の頃から、もっと複雑にプログラムされた多細胞生物を研究したいと考えるようになりました。ショウジョウバエや粘菌、プランクトンの仲間のボルボックスなどいくつか候補があるなかで、線虫を選びました。

───モデル動物としての線虫の魅力はどこにありますか。

線虫は体長約1mm、成虫の細胞の数が約1000個と非常にコンパクトです。そして受精から孵化までわずか14時間、精子や卵子を形成し成虫になるまで3日間とサイクルも短い。さらに、からだが透明でひとつひとつの細胞を生きたまま観察することができ、飼育が容易な点が大きなメリットです。全細胞系譜が明らかになっており、多細胞生物としてはもっとも早くゲノムが解読されたのも線虫です。

博士号を取得した頃、山本正幸研究室の後輩たちと(右から2番目)

博士号を取得した頃、山本正幸研究室の後輩たちと(右から2番目)

PAGE TOPへ
ALUSES mail