この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

アメリカ留学で、線虫の遺伝子研究の基礎を徹底トレーニング

───線虫を本格的に研究されたのは、アメリカでのポスドク時代ですね。

博士課程の終わり頃に駒場で桂勲先生が開いておられた線虫の勉強会に参加したりしていましたが、本格的に線虫の発生メカニズムを研究したいと、米国ウィスコンシン大学マディソン校で線虫のラボを新しく立ち上げたばかりのジョエル・ロスマンのラボに入りました。
このラボでは線虫の受精卵から胚発生の過程で、異常が起きて死んでしまう変異体を網羅的に解析していました。私がラボ.に入った最初のポスドクで少人数だったこともあり、ボスのロスマンと毎日のように活発に議論し、線虫の受精から胚発生までのプロセスの表現型をすべて判断できるトレーニングを積んだことが、その後の研究に大いに役に立っています。

───留学先はどんな環境でしたか。

マディソンは人口約20万人の大学町で、1周15kmほどの湖のほとりに大学がありました。真冬ともなれば湖面がガチガチに凍ってワカサギ釣りができました。住民の3割が大学関係者ということもあり、小さいわりには国際色が豊かで、コミュニティ意識も強い街でした。アメリカでは研究者同士の情報の流通が速く、セミナーでおもしろい情報があるとすぐに共同研究がスタートしたり、論文が出る1年も前から未発表情報が口コミで広がっていたりとスピード感がありました。ラボ同士のコミュニケーションも活発でしたね。

───先生の研究にプラスになったことがありますか。

研究テーマの一つが細胞死だったのですが、ロスマンの研究室の隣のビルに昆虫の細胞に感染するウイルスの研究をしている先生がいました。昆虫はウイルスに感染すると通常は防御機構によって感染した細胞を殺す(アポトーシス)のですが、ウイルスもそれに対抗して、アポトーシスを防ぐタンパク質を出すことを彼が見つけていたのです。もしかしたら線虫でも同じメカニズムが働くかもしれないとひらめいて、そのタンパク質を線虫で発現させたところ、見事に線虫のアポトーシスが抑えられました。線虫と昆虫の細胞死のしくみが共通であることがわかったわけで、線虫の遺伝子のメカニズムが他の多細胞生物にも保存されている可能性を示す初期の発見の一つとなりました。

───多細胞生物で初めて線虫のゲノムが解読されたのは1998年のことですが、先生が留学されていた1992年から96年当時の線虫の遺伝子研究はどのようなものだったのですか。

ちょうど線虫のゲノムプロジェクトが進展しているただなかにありました。線虫のコミュニティでは、論文に未発表の情報でもオープンにしてコミュニティを活性化させようという雰囲気があり、新しいゲノム情報が次々に発表されていました。また、95年頃に、人工的につくった二本鎖のRNAを細胞に入れれば、特定の遺伝子に干渉して、その遺伝子の機能の発現を抑制することができる「RNA干渉」という遺伝子解析の新しい手法がウワサになっていました。当時はそのメカニズムはまだ明らかになっていなかったのですが、これによって目的の遺伝子をノックダウンできることがわかり始めてきた。そしてもう一つ、1994年にコロンビア大学のマーティン・チャルフィーがGFP(蛍光タンパク質)を線虫のからだに入れ、細胞の中で特定の分子の動きを観察する実験に成功したことも線虫の遺伝子研究をさらに飛躍させました。
(1)ゲノム配列情報の入手、(2)遺伝子解析の手法としてのRNA干渉の確立、(3)GFPによるライブイメージング、この3つが線虫研究者のコミュニティで同時期に登場したことで、遺伝子研究が大きなターニングポイントを迎えることになったのです。

ロスマン研究室のメンバーたちと。ロスマン博士は上から二列目中央、杉本先生は右端

ロスマン研究室のメンバーたちと。ロスマン博士は上から二列目中央、杉本先生は右端

ポスドク時代、研究室にて

ポスドク時代、研究室にて

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