この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

第29回 線虫をモデルに、発生過程で起こる細胞の形態変化の謎を解き明かしたい。東北大学大学院 生命科学研究科 教授 杉本亜砂子

Profile

杉本亜砂子(すぎもと・あさこ)
1987年 東京大学理学部生物化学科卒業。92年 東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻博士課程修了、博士(理学)号取得。1992年~96年 米国ウィスコンシン大学マディソン校で博士研究員。96年~2002年 東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻 助手。科学技術振興事業団さきがけ研究21「素過程と連携」研究者、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターなどを経て、2010年4月より東北大学大学院生命科学研究科 生命機能科学専攻 細胞機能構築統御学講座 発生ダイナミクス分野教授。

profile
私たちのからだは、一個の受精卵が細胞分裂を繰り返し、多様な細胞をつくり出してできあがっていく。いったいどんな作用が働いてこうした多様な細胞がつくられるのだろうか。杉本先生は、線虫という体長わずか1mmの動物の初期胚から形態形成に至るプロセスの解析を通じて、生物の発生のしくみという普遍的な謎に迫っている。

小学生時代から、夢は研究者

───小さい頃、将来はどんな仕事につきたいと考えていましたか。

小学校3年生の頃は天文学者になりたい、夜空を見上げて、宇宙のことを研究したら楽しいだろうなどと考えていました。もっとも、天文学者はただ空を眺めているのではなく、物理の難しい計算をしなくてはならないことがわかってすぐに方向転換しましたが(笑)。

───そんなに早くから研究者の道を考えていたとは驚きです。

研究者にと考えたのは父の影響もあるかもしれません。工学系の弁理士で、家に研究者の自伝がたくさんありました。キュリー夫人の伝記などを読み、子ども心に女性研究者が少ないと感じ、それなら私がなってやろう!と思っていました。
休みの日には、父に算数の問題を出してもらって、数学的な考え方を教わったものです。そうそう、父と一緒に夏休みに近所のグラウンドでジョギングをしたのですが、その時は、1か月続けて脈拍数の変化を計測しました。ふだん走ったりしなかったので最初はつらかったのですが、慣れてくると次第に脈拍が落ちることに気づき、夏休みの自由研究で発表して賞をもらったこともあります。また、少年少女向けの実験の本の付録にあったピンホールカメラを作ったり、光をプリズムに当てて遊んだりしていました。

───生物への興味は、いつ頃から持つようになったのでしょう。

高校1年生のときに生物の授業でメンデルの法則に出合ってからです。
小学校を卒業して、中高一貫の女子校に進んだのですが、そこは理系に強い学校で、科学担当のよい先生が揃っていました。私は理詰めで物事を考えていくタイプで、数学、物理、化学などは好きだったのですが、どうも生物だけは、ホルモンの名前やからだの構造を覚えなければならないなど暗記要素が強く、あまり好きになれないでいたのです。
ところが授業でメンデルの法則や遺伝のしくみを習って、生物も法則に従ってロジカルに考えていくことができるんだということがわかりました。当時はまだ教科書にDNAのことは詳しく載っていませんでしたが、DNAの二重らせん構造や、これによってATGCの塩基が複製されることを紹介した映像を授業で見て、がぜん興味が湧きました。先生が、ワトソンが書いた『二重らせん』という本は、二重らせん発見のいきさつや彼らの研究生活が赤裸々に綴られていてとても面白いとおっしゃっていたので、さっそく家に戻って、父の書斎にあったその本を読みました。ノーベル賞を獲るような画期的な発見をした科学者でも、恋の悩みがあったり、ライバルとの戦いに一喜一憂したりと、研究者がとても身近なものに感じられました。それからですね、「遺伝子の研究者になりたい」と本気で思うようになったのは。

───すると、15-16歳の頃に抱いた夢を実現したというわけですね!

ちょうど時代的にも遺伝子や生命科学が注目されていました。当時、東京の西の町田市に住んでいましたが、企業の生命科学系の研究所があり、友人のお父さんに頼み込んで中を見学させていただいたりしました。三菱化成生命科学研究所の中村桂子先生の講演を聞く機会にも恵まれ、ワトソンが書いた『遺伝子の分子生物学』という教科書を図書館で借りてきて、わからないながらも眺めていたものです。

───中高校生の頃に、ほかにどんなことに興味を持っていたのでしょう。

映画が好きでした。学校が水道橋にあったので通学で都心に出かけるのですが、中2の頃から名画座に出入りし、400円3本立てなどの映画を観ていました。お昼のパン代を貯めると観に行けるので、『明日に向かって撃て』とか『ステイング』とか、片っ端から観ましたね。このほか、ミュージカルやバレエも好きでした。

───中学・高校と女子校だったことで、何か影響を受けたことがありましたか。

男女共学の場合、男子がリーダーで女子がサブリーダーといった序列ができがちですが、女子校であれば、女性自身がリーダーにならなければなりません。重いものを持つのも汚れ仕事も全部女性がやる。自分たちでなんでもできる!ということを自覚できたことや、リーダーシップを発揮する経験を積むことができたことは大きなプラスになっていると思います。

中学生の頃。箱根の彫刻の森美術館で

中学生の頃。箱根の彫刻の森美術館で

高校の友人達と(後列右)

高校の友人達と(後列右)

PAGE TOPへ
ALUSES mail