この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

性染色体をテーマに研究活動を始める

───大学では生物学のどんなことを学びたいと考えていたのですか。

そのときはまだ漠然と、植物より動物がいい、できれば獣医になりたいと考えていました。でも、経済的な事情があって私立大学は無理で、家から通える国公立の獣医学部となると、条件に合うところがないので、農学部の畜産を目指すことにしました。でも、現役で国立に合格するだけの受験準備が間に合わず、一浪しました。
翌年は絶対に受験に失敗するわけにはいかないので、名古屋大学の農学部を目指しました。名古屋大学を選んだのは、2次試験が理科は1科目だけでよく生物で受験できること、また母の実家があり、祖父母の家から大学に通うことができたからです。

───大学に入学してからはどんな毎日でしたか?

大学院に進んで生物学を究めたいという思いは早くから持っていたので、熱心に勉強しました。また、家賃の心配はしなくてすんだのですが、生活費を稼ぐために、塾講師のアルバイトに精を出しました。ほかの学生たちは、やれ旅行だ、大学祭だと学生生活をエンジョイしていたけれど、私はそういう人たちの輪に入らなかったので、付き合いづらいと思われていたかもしれませんね。

───思い出に残っている授業などはありますか。

やはり実習ですね。3年生のとき、大学からかなり離れた山の方にある附属農場にみんなでバスに乗って行って出かけ、2泊3日くらいの日程で畜産実習をするのですが、これは楽しかった!
農耕機の運転、牛のからだの測定、ヤギに薬を飲ませる・・・。こうした実習のほかに、アユを捕まえたり、その地方では蜂の子を食べる習慣があって、蜂の巣を見つけて蜂の子を捕まえるなんてこともやりました。一匹の蜂の足に目印のこよりをつけて、みんなでわあわあいいながら追いかけていくんです(笑)。

───どの研究室で学ぶかはいつ決めたのですか。

2年生から3年生にかけていろいろ学んでいくうちに、自分は生殖に最も興味があることが分かってきて、4年生では生殖を─畜産学部では繁殖ということになりますが─テーマにしようと思ったんです。でも、一番興味のあることなら私はきちんと勉強するだろうから、それより3年生のときに苦手で成績も悪かった遺伝学の教室を選ぼうと考えました。成績が悪いままにしておくのはしゃくだったし(笑)。
研究室では、ちょうど遺伝学の教室に新しく助教授として着任された、現在名古屋大学大学院生命農学研究科教授の松田洋一先生のもとで研究することになりました。松田先生のご専門は染色体で、とくに染色体のマッピングにより遺伝子地図をつくる第一人者で、研究室には全国からさまざまな実験動物の遺伝子地図をつくりたいという共同研究の依頼が次々に舞い込んできました。私は先生の右腕のように実験を任せていただき、夢中で染色体マッピングの実験を続けました。細胞を培養して標本をつくったり、蛍光物質などで遺伝子をラベリングしたり、顕微鏡で何時間も観察したりといった作業を繰り返していくのですが、とにかくそれが楽しくて仕方なかった。これは私の“天職”なんだと思いました。
それで、もう就職する気などは起こらず、博士課程に進むことにしたのです。私は染色体の中でも性染色体を中心に研究を進めたいと、ラットやマウスをはじめいろいろな動物の性染色体のマッピングに取り組んでいましたが、鳥類の性染色体に関連した研究がスタートしたとき、松田先生が北海道大学に移られることになり、私も名古屋大学に籍を置きながら、北大で研究を続けることにしました。

修士1年生のとき、近隣研究室の先輩後輩と体育館でテニスをしたときの写真(前列、向かって左側が先生)

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修士1年生のとき、近隣研究室の先輩後輩と体育館でテニスをしたときの写真(前列、向かって左側が先生)

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