この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

東大理科II類から獣医学科へ

───大学を選ぶにあたって、医学部は考えなかったのですか。

周りからは医学部進学を勧められていました。しかし若いころの私には、物事に飽きることに対して恐怖心がありました。人命にかかわる仕事は確かに素晴らしいが、生涯にわたって動機や興味を持ち続けられるだろうか、使命感だけで医師を続けていくのは自分には耐えられないだろうと。それよりも、広く生物を対象にした遺伝子分野の研究なら、死ぬまで取り組むことができると感じ、高校時代にここだ!と決めたのが、東大の理科II類から獣医学科へというコースでした。

───理科II類なら、理学部の生物学が一般的ですが・・・・?

当時は理学部の生物学というと、研究の対象が酵母や植物や大腸菌といったイメージしか思い浮かばなかったのです。一点集中型ですね。それよりも、もっと幅広く研究がしたい。DNAと高次生命現象との結びつきのような縦軸と、虫からゾウに至るまでの横軸、それらを組み合わせた比較生物学。獣医学科なら、これが好きなだけ学べると考えました。そもそも獣医師になろうという気がなかったので、結果として卒業時に獣医師国家試験を受験していません。東大の場合、2年の後期に成績を基準にした進学振り分けによって学部・学科を選ぶのですが、当時は獣医学科の人気はさほど高くなく、恥ずかしながら成績が良くなかった私でもすんなりと進めました。

───獣医学部の雰囲気はいかがでしたか。

当時の東大の獣医学科は、獣医師になって開業しペットなどの伴侶動物を診るといった志向の学生はほぼゼロで、むしろ野武士みたいな学生の集まりでした。3分の2の学生が博士課程に進学し、現在は約半数が大学か国の研究所で活躍しています。
開講されていた講義は、人間を対象とした医学・生物学の獣医版だと思えばいいでしょう。微生物学、生理学、免疫学、病理学など片っ端から勉強することになりますが、比較生物学としての側面が強いので、“浅く広く”学びます。この時に得た多角的な知識は、今でも役立っています。

───研究テーマはどのように決めたのですか。

まずはとにかく間口を広げていろいろなものに取り組んで、その中で興味を引くものがあれば飛びつこうと考えていました。
3年生の時の生理学教室の実習で、当時助手だった松山茂実先生が「きみはうちの研究室に来たまえ」と強く勧めてくれました。松山先生は細胞の自死であるアポトーシスを研究していて、その面白さを語りながら、「自分が独立して研究室を持つまでは、テーマはとりあえず何でもいいから修行のつもりで取り組みなさい。自分の好きな研究をするのはその後でいい。どれだけ経験とトレーニングを積んだか、それですべてが決まる」と言うのです。これは大変貴重なアドバイスで、今は私が若い研究者に伝えている言葉です。
そこで4年~6年生まで、この研究室でアポトーシスの研究に没頭しました。先輩も後輩も、毎晩遅くまで研究するのが当たり前でした。ある先輩は3日で1本、1年間で100本の論文を読むことを自分に義務づけていて、私もならって論文をたくさん読んだものです。インターネットがまだ普及しておらず、図書館で自腹で雑誌から論文をコピーしていた時代です。英語はあまり得意ではありませんでしたが、そうして数多くの論文を読むうちに、次第に英語の論文も苦にならなくなりました。

───大学院で大阪大学に進んだのはなぜですか。

同じ場所に3年間もいれば、成長が頭打ちになると考えていました。多様な経験を得ることが、自分のためになるだろうと。これは先の松山先生の言葉に大きく影響されています。当時、アポトーシスの分野で大きな研究成果を上げていたのが三浦正幸先生です。私が大学院の行き先を探していたころ、ちょうど米国でのポスドク生活を終え95年に筑波大学で講師に就任されていました。三浦先生のところで研究をさせてもらえることになった時、三浦先生が上司であった岡野栄之教授とともに阪大に移りました。そこで私も阪大の大学院に進むことになりました。学校のネームバリューではなく、師で研究室を選んだわけです。
岡野栄之先生は38歳で阪大医学部の教授に就任された新進気鋭の研究者で、三浦先生は岡野研の助教授。私はこの阪大岡野研の一期生でした。
この研究室がまたすごかった。“虎の穴”と呼ばれていました。線虫、ショウジョウバエ、マウス、ヒトなど、いろいろな生物を扱っていて、一つの研究室でひと通りの生き物が揃っているのです。まさに比較生物学の研究の場そのものでした。そして、研究の進捗や文献紹介、新しい研究のアイデアなど、怒鳴り合うように日々ディスカッションをしている。その中で揉まれながら大学院の4年間を過ごせたことは、刺激的な素晴らしい体験で、私の大きな財産になっています。当時ここで助手、ポスドク、大学院生だったメンバーから、現在、医学・生命科学分野で活躍する優秀な研究者が続々と輩出されています。

大学院時代、岡野研メンバーと。Vサインをしているのが嘉糠先生。その左隣が岡野栄之先生。この写真のメンバーはそのほとんどが現在教授をしている

大学院時代、岡野研メンバーと。Vサインをしているのが嘉糠先生。その左隣が岡野栄之先生。この写真のメンバーはそのほとんどが現在教授をしている

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