この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

イエバエに興味を持ち、病原体媒介節足動物の研究をテーマに

───岡野研究室ではどんなことを研究していたのですか。

アポトーシスの分子機構を研究していました。当初は線虫を使っていたのですが、岡野先生がショウジョウバエの研究で一世を風靡していたこともあり、ショウジョウバエを対象に研究をすることになりました。ショウジョウバエを扱うためには他と隔離された部屋が必要です。当時の阪大医学部の共用研10階には、まず誰も来ることがない「昆虫研」という部屋がありました。
その通称「ハエ部屋」で、私は毎晩、100個ほどの卵に遺伝子を注入し、遺伝子改変ショウジョウバエを作っていました。そのハエ部屋の一角に、さまざまな系統のイエバエも一緒に飼育されていました。他の研究室の所有でした。牛乳瓶の壁をたくさんの蛆虫が這っている衝撃の光景ですが、「いったい全体、イエバエを対象とした研究とは?」と、私は興味を覚えました。
そこで、昆虫研の中にあった加納六郎という先生の古い本を何気なく読んでみたら、いま私がテーマとしている「病原体媒介節足動物」の話が飛び込んできました。実は、「衛生動物学」という分野は100年以上も歴史のある学問だったのです。病原体を運ぶ蚊などの昆虫や、ダニなどの節足動物が人間の疾患の原因となっている・・・そのことに思い至った時、インスピレーションが湧きました。「この研究をやろう!」。生涯かかってもやり尽くせない、興味の対象を見つけた瞬間です。

───それから理化学研究所に移り、その後留学するわけですね。
留学先の研究室で。丸刈りになった直後で、ラボメンバーに大いに笑われた

留学先の研究室で。丸刈りになった直後で、ラボメンバーに大いに笑われた

博士課程4年生の時、三浦先生が理研に移ることに決まり、「先に埼玉に行って、研究室を立ち上げてくれ」と、機器の選定から試薬の購入まですべて任されました。こんないい修行は得難いと考え、ラボの構築を一から十までやりました。その後、30歳になるまでに留学したほうがいいという三浦先生からのアドバイスもあり、病原体を媒介する節足動物の研究が可能な留学先を探しました。
私は、一種類の節足動物に集中するのではなく、複数の病原体媒介節足動物を同時に用いながら比較研究できることを望んでいました。当時、米国スタンフォード大学のD.シュナイダー助教授が、ショウジョウバエを使いながらマラリア媒介蚊の研究をしていることを知りました。ショウジョウバエにマラリア原虫を寄生させる先駆的な研究をされていて、ここなら私の比較生物学的指向とよくマッチすると考え、その門を叩きました。
留学先では、山のような数のショウジョウバエ変異体系統にマラリア原虫を感染させて、マラリア原虫の感染性が変化する遺伝子を探索する研究課題に取り組んでいました。その結果、Furrowedという名前のC型レクチンタンパク質がマラリア原虫の感染性を抑制することを見つけました。もう少しこの遺伝子を解析したかったのですが、東大薬学部に移った三浦先生に呼ばれて、帰国することにしました。
留学の最大の収穫は、研究ではなく、同じくカリフォルニアに留学していた妻に出会ったことかもしれません。帰国後に籍を入れたのですが、お互い留学でお金を使い果たしていて、結婚式も披露宴も挙げていません。それと、現在の丸刈り頭になったのも留学がきっかけです。留学したてのころ、理髪店に行ったら英語がよく聞き取れず、No.1でいいかと聞かれたのでOKしたら、それはバリカンの刃の長さだったのです。一番短い刃で、一気に坊主頭になりました(笑)。

───帰国してから約2年後、32歳で帯広畜産大学教授に就任なさいましたね。

2014年夏のデング熱騒動をみてもわかるように、病原体媒介節足動物の研究は、その社会的需要が十分にあるものです。しかし、その研究者の数はあまりに少ないのが現状です。帯広畜産大学には、原虫病研究センターという原虫感染症に特化した国内外でも珍しい研究機関があり、媒介節足動物の研究者を求めていました。自分の研究室を持つ夢が叶うわけですから、二つ返事で北海道に渡りました。
6年半過ごした帯広畜産大学では、「アニマル・グローバル・ヘルス」構想を掲げ、それが国のグローバルCOEプログラムに採択されるなど、実験室での研究からアフリカなどフィールド活動にまで果敢に取り組みました。しかし畜産学という枠組みがあるため、どうしても牛や豚などの家畜が対象になる。比較生物学を指向する身としては、多様な動物種に加え、知見が深化したヒトもぜひ探究したいという思いが募ってきた。そのころちょうど、現在の東京慈恵会医科大学の教授公募があり、そして現在に至ります。

PAGE TOPへ
ALUSES mail