この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

京大に受かったら下宿できる。その一念で猛勉強

───当時、将来何になりたいか考えたことはありますか。
高校2年 父と(場所は不詳)

高校2年 父と(場所は不詳)

幼稚園のころから将来は医者になりたいと思っていたんです。それにはひとつ理由があって、たしか3歳のとき、すごい高熱を出して診てもらった近所のお医者さんがとても面白い先生だったんです。浣腸器をくれたりして、私はもらった浣腸器を水鉄砲にして遊んでいました(笑)。
とにかく人の役に立つ人間になりたいという思いがあって、高校1年のころは政治家になるのもいいかなと迷ったりしたのですが、政治家になるのはいろいろ難しいから、やはり医者になろうと。そして、当時、不治の病と恐れられていたがんを治したい、そのために研究者になろうと考えるようになりました。高校2年生のときの日記をたまたま見つけたんですが、それには20年後の自分について「外国の研究室でがんの研究をしているか、またはアフリカなど途上国で医療に従事していたら、自分を尊敬するだろう」って記していたんです。後者は間違いなくシュバイツァーの影響があったのだと思います。

───医学部に入るために、さぞかし猛勉強なさったのでしょうね。

高校1-2年のころは、それほど勉強ができる方じゃなかったんです。成績はちょうど真ん中あたりだったかな。あまりふざけてばかりいたものだから、あるとき担任の先生に「お前はもっとみんなを引っ張っていかなきゃいかんのに、逆に足を引っ張っている」とえらく怒られて、ビンタをもらったことがありました。そこで目が覚めて勉強を始めた。
ちょうどそのころ、家を離れて下宿したいと思うようになって親に相談したら、「京大に入れたら下宿してもいい」。親も受かるとは思っていなかったようなんです。そこで「息子が京大の医学部に入ったら下宿させます」という証文をとり、捺印してもらい、それを部屋に貼って頑張った(笑)。下宿したいというのが大きなモチベーションになり、そこからグーンと成績が上がりました。
受験科目は物理、化学、倫理社会、世界史を選択しました。日本史よりももっと世界のことを知りたくて世界史を勉強しました。

───高校のクラブ活動や学園祭で何か思い出がありますか。
高校3年 愛犬モモと

高校3年 愛犬モモと

クラブ活動は引き続き卓球部に入っていたのですが、1年生のときに同級生とけんかしてやめてしまいました。それ以後は、いわゆる帰宅部でしたね。学園祭は高校2年のときにもっとも盛大にやりました。装飾アートというのがあって、大きな門をつくって、近くの女子高に招待券を配って歩いた思い出があります。ドキドキしながら渡したことを今でも覚えていますよ(笑)。
それと創作演劇を発表するのですが、私は西遊記に出てくる猪八戒の役をやることになり、母親のネグリジェを引っ張り出して猪八戒の衣装にしたんです。母親がそれを見て「何を着ていくねん」とえらく怒られました(笑)。

PAGE TOPへ
ALUSES mail