この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

細胞同士のコミュニケーションの謎を研究テーマに

───その後、今も先生が取り組んでいる研究が始まるわけですね。先生の研究について、できるだけわかりやすくお話しください。

先ほどお話しした「細胞間接着」というのは、わかりやすく言うと「細胞同士はお互いをどう感じているか」を研究することです。たとえば、私たちが相手と言葉を交わしてコミュニケーションをとるように、細胞同士もいろいろな方法でコミュニケーションをとっているに違いありません。
では、がん細胞と正常細胞の間ではどのようなコミュニケーションがあるのか、たとえば体内である細胞ががん化したとき、周囲の細胞が何らかのアクションを起こすか、両者の間にどのような相互作用があるのかなどを明らかにしようと研究しています。

───研究するきっかけになったのは?

実は、この研究に取り組むに当たって、面白い出来事がありました。大学院時代のある日、同僚の研究者が実験道具を片付けないので注意したら逆ギレされて、私も気分を害したのでトイレで頭を冷やしていたんです。「あいつは研究室のがんだ!」とつぶやいた瞬間、がん細胞が人間の社会と同じように周囲の正常な細胞から排除される光景が目に浮かんだんですよ(笑)。質の悪い細胞ができるとそれを排除するシステムがあるのではないか、そう思った瞬間でした。
基本的にがん細胞は社会性を喪失した細胞です。たとえば、正常な細胞はあるところまでくると増殖することをやめるけれど、がん細胞はお構いなしに増え続けていきます。がん細胞が転移するのも、ほかの細胞に断りもなく勝手に転移してしまう(笑)。こうした社会性のないがん細胞を、どのようにして正常細胞が排除していくのかを研究したいと考えたのです。

───具体的にはどのように研究を進めたのですか。

従来の研究は、がん細胞と正常細胞を別々に培養し、それぞれの違いを比較研究し、がん細胞に見られる変異が細胞間のシグナル伝達などに変化を及ぼすというストーリーを組み立てるのです。でもこれではがん細胞が正常細胞から生じ、正常な細胞に囲まれて増えていくときにどんな相互作用が起こるのかを理解することはできません。
そこで、正常細胞とがん細胞を一緒に培養し、境界領域でどんな現象が起こるのかを解析しようと考えました。
ところがこれがとても難しい。正常細胞とがん細胞を混ぜても、同じ細胞同士が塊をつくってしまい、うまく混ざりません。また混ぜたものに変化が生じたとき、いったい正常細胞側の変化なのか、がん細胞側の変化なのかがわかりにくい。たとえば、変異細胞の方に2倍の変化があったとしても、混ぜてしまうと変化が薄まってしまうのです。そんなこんなで実験系を作り上げることがまず大変でした。決してスマートな実験ではなくすごく泥臭い研究です。
試行錯誤しながら細胞を相手に格闘して、やっとある薬剤を使い、正常細胞を効率よくがん細胞に誘導できる方法が確立できました。そして正常細胞とがん化細胞に誘導される前の細胞を混ぜて培養したところ、一部の細胞だけががん化し、残りの細胞は正常細胞という状態をつくることができました。これで正常細胞とがん細胞の関係を調べることができるようになりました。

───実験系を立ち上げることに成功したあと、どんなことがわかったのですか。

ヒトのがんの多くは上皮細胞で発生するので、正常細胞上皮と変異上皮細胞を混ぜて培養したところ、正常細胞に囲まれたがん細胞がはじき出されていくことが、実際に顕微鏡で撮影した画像で確認でき、正常な細胞ががん細胞を攻撃して体外に排除する機構があることがわかりました。大腸ではがんが便が通っている方に、腎臓では尿が通っている方にはじき出すことを確認できました。

正常細胞ががん細胞をはじき出した様子を紹介する動画

───先生の研究は将来、がん治療にどんなふうに役立っていくのでしょう。

一番期待しているのはがんの予防医学への応用です。いま私はがん遺伝子への変異が1つしかない状態での相互作用の研究をしています。つまり、がん細胞の超初期段階を見ているわけです。がんは一般的にはがん遺伝子への変異が4つ、5つと蓄積していって初めて悪性になると言われているのですが、がんを慢性病ととらえた場合には、糖尿病やリウマチのようにより早期に治療することが必要だと考えられます。そのためには、がんをより早期に見つける手段が必要なのに、その手段がないためがんの予防医療はまったく手が付けられていないのです。
研究を進め、がん細胞と正常細胞の境界で特異的に発現する境界マーカーを見つけて、今よりもっと早期のがんを診断できるようにしたいのです。同時に、正常な細胞ががん細胞を認識して攻撃する仕組みを探究し、その際に中心的に働くタンパク質を見つけ、正常細胞の力を高めることによって変異細胞をやっつける薬の開発に結び付けていきたいですね。
このようにこれからのがん治療に寄与するインパクトのある仕事をして、医療システムに革命を起こすような研究をめざしています。

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