この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

キンカチョウの歌学習の神経メカニズムを知りたい

───先生の研究の一端を分かりやすく教えていただけますか。

ヒトや鳥など高等生物の脳が成長していくときに、外の環境や自分の体験によって変化しやすい時期を「臨界期」と呼びます。臨界期には自分が経験したことを脳に取り込んで神経回路の組換えや再構成を活発に行うと考えられています。
たとえば、臨界期にあたる生後3、4週後のネコの片方の目に眼帯をかけてふさいでしまうと、脳の大脳皮質の視覚野神経細胞が衰退して、ネコの片方の目は見えづらくなってしまいますが、これは臨界期に外部からの刺激をシャットアウトして、神経回路の組換えを阻害してしまうからですね。
私はここOISTに来る前に理化学研究所のヘンシュ貴雄先生のもとで臨界期が始まるメカニズムの解明を共同研究していました。神経細胞には情報を伝える相手の神経細胞を興奮させる「興奮性神経細胞」と、逆に相手の神経細胞の働きを抑える「抑制性神経細胞」の二つがあります。
これまでの研究では、視覚における臨界期が始まるためには「抑制性神経細胞」が増強することが必要であるとされてきましたが、そのメカニズムは明らかになっていませんでした。私たちの共同研究チームは、抑制性神経細胞からの入力が増強すると、脳神経回路の自発的活動が低下して、環境や経験などの外部からの感覚刺激に神経細胞が活発に応じ、神経回路の組換えを促すようになり、それを契機に臨界期が始まることを提唱しました。そして、実際に遺伝子を改変したマウスを使った実験で、このことを確かめることができました。

───先生はさらに臨界期の研究を進展させていったわけですね。

ええ、ヘンシュ貴雄先生が「抑制性機構の発達によってマウスの臨界期が決定するしくみは分かったが、ほかの動物でも同じことが起きるのか知りたい」と、鳥の歌学習の研究をしている私に研究を勧めてくださったんです。それで、OISTに移ってからキンカチョウの臨界期には脳の中でどんな変化があり、それがキンカチョウの発声メカニズムとどんな関係があるのかをテーマの一つとして研究しています。
キンカチョウは、歌を歌う鳥、いわゆる「ソングバード」です。鳴くのは父鳥で、母鳥への求愛のために歌います。ヒナは生まれてから10日目くらいから父鳥の声を聴き始め、だいたい30日くらいで父鳥の歌を覚え、それから少しずつうまく鳴くようになって、90日くらいからは歌は変わらなくなります。120日くらいたつと、もう一人前のソングバードになるのです。
つまり、キンカチョウの臨界期はこの生後10日から30日くらいまでの約20日間になるわけです。ヒナ鳥は父鳥の歌を聴いて自分の歌をつくっていくのですが、生後90日くらいたつとほかのキンカチョウの歌声が聴こえてきても、新しい歌として学習しなくなる、学習できるのはこの臨界期だけということになります。

───臨界期にはキンカチョウの脳の中でどんな変化が起きているのでしょうか。

キンカチョウについては、これまで、その行動や歌の発声パターン、脳の解剖など、多くの研究がなされてきており、脳の奥深い部分に発声を担う領域があることが分かっています。
私たちはその領域にある一部の神経細胞の活動を「薬理遺伝学」という手法で抑制してみたのです。すると、キンカチョウの歌は歌の特定の音節が消えてしまうなど、不規則で不完全なものになることが明らかになりました。
薬理遺伝学的手法は、これまでほかの動物の神経細胞の働きなどを調べるためにいろいろな研究者によって使われてきていました。それをキンカチョウの臨界期における発声と脳の神経細胞の活動を調べるために応用してみたのです。
これまでの脳の一部を破壊する手法では、発声を担う領域のすべての神経細胞を壊してしまいかねません。また、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)のような脳スキャンでは、脳領域内のどの群のニューロンが特定の運動や反応を担っているかを特定することは不可能でした。薬理遺伝学という手法では、発声を担う領域の一部のニューロンにしか影響を与えず、また薬剤の効果も数時間程度で切れてしまうので、どの神経細胞がどんな役割を持っているのか、機能と行動の因果関係がこれまでより明確に特定できるようになります。

上は、キンカチョウの脳の弓外套における、正常な活動。薬理遺伝学的とを用いて神経活動を抑制すると歌の音響構造が変化する(下)
資料提供:OIST

上は、キンカチョウの脳の弓外套における、正常な活動。薬理遺伝学的とを用いて神経活動を抑制すると歌の音響構造が変化する(下)
資料提供:OIST

───キンカチョウの臨界期の神経メカニズムの変化はかなり分かってきたのですか。

たとえば、臨界期の終わりごろにどんな遺伝子が働いているかなど、少しは分かってきていることはありますが、それらが相互にどんなメカニズムで働いているかなど、詳しいことはまだまだ分かってはいません。
私たちの研究室では、行動学的、電気生理学的、解剖学的な手法にイメージング技術などを組み合わせたさまざまなアプローチで、(1)「聴いた」歌の記憶が、どのように「鳴く」という運動パターンをつくり出すのか、(2)なぜ臨界期を」過ぎてから聴いた歌は学習できないのか、を中心に解明を試みています。

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