この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

第34回 好きなことを淡々とやり続けてきただけ 沖縄科学技術大学院大学 臨界期の神経メカニズム研究ユニット 准教授 杉山(矢崎)陽子

Profile

矢崎(杉山)陽子(すぎやま(やざき)ようこ)
1999年上智大学神経動物行動学博士課程修了。96-99年上智大学生命科学研究所リサーチアシスタント、99-2002年同研究所ポスドク、01-03デューク大学神経生物学ポスドク。帰国後、理化学研究所脳科学総合研究センターでのポスドク、客員研究員などを経て2011年より現職。専門は神経科学、神経生物学。現在は主に、鳥の歌学習の臨界期に関する研究を行う。私生活では二児の母でもある。趣味はバドミントン。

profile
沖縄科学技術大学院大学(OIST)で、キンカチョウが父鳥の歌を学習する際の神経メカニズムを研究している杉山(矢崎)先生。「研究者といっても特別な存在ではない。好きなことを淡々とやり続けてきただけ」と、少しも肩に力が入ったところがない。「将来のビジョンが明確でなくとも、目の前のことを一生懸命やっていれば、そこから道が開けてくることもある。今を大事にしてほしい」と呼びかける。

研究者になりたいとは一度も思わなかった

───どちらのご出身ですか。

広島で生まれ、1歳の時に横浜市の鶴見に引っ越しました。物心がついたころには鶴見にいて、当時はそこが世界のすべてでした。住んでいたのは市街地のありきたりのマンション。1階がスーパーで、よくそこでいたずらして怒られたものです。

───小さいころはどんなことをして過ごしていたのですか。

兄と弟がいたので、お人形で遊ぶよりも鬼ごっこをしたり、外を駆けずり回って遊ぶ方が好きでしたね。父親が読書好きで本は惜しみなく買い与えてくれたので、伝記や物語などいろいろな本を読んでいました。これまで読んできた中で一番印象に残っているのは高校生のころ読んだ「赤毛のアン」です。
スポーツも勉強もまあ、なんでもそこそこできたけれど、ものすごく優秀というわけではなく、ごくごく普通の子どもでした。

───好きなスポーツなどありましたか。

中学校へ入ってからハイキング部に所属して、夏は登山、冬はスキーをやっていました。ふだんは走ったり筋トレが中心でしたが、夏の合宿では高い山に登るんです。たしか中1の時には赤岳に登りました。冬はスキー合宿でスキースクールに入るのですが、バッジテストを受けて3級でした。まあ、3級だからと言ってなんてことはないんですが(笑)。でも、スキーは今でも好きですね。

───中高校生時代、勉強は好きでしたか。

中学受験をして私立の中高一貫校に入学しました。高校入試がないため、入学後はあまり一生懸命勉強した記憶がありません。高校3年生の時に文系・理系のコースに分かれたのですが、高2までは全教科を学ばなければならず、ただ覚えるだけだった歴史は嫌いでした。

───大学の学部はどのように決めたのでしょう。

中3の英語の先生が良い先生で、それから英語が好きになりました。もうひとつ生物の授業も楽しかったので、大学進学にあたっては、英語を勉強するか生物を勉強しようか迷ったんです。英語の先生が「英語は何をするにも必要で、当然勉強しなければならないから、ほかに自分の好きなことを対象に選んだらどうか」とアドバイスしてくださったので、生物を学ぼうと進路を決めました。
小さいころから研究者をめざしていたとか、昆虫や動物が大好きだった、脳に興味があったなどという方が多いと思いますが、私の場合、いまだかつて研究者になりたいと思ったことはなかったんです。生物の授業が楽しいからと大学に進んで、もうちょっともうちょっとと思い、今日まで来た感じなんですよ。

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