この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

中学からロックに目覚める

───中学生になってから何か変化がありましたか。
中高一貫校に入学

中高一貫校に入学

サッカーの経験から球技が苦手というのはわかっていましたから(笑)、強さへの憧れもあって柔道部に入ったんです。ただ私が進学した中学の柔道部は、すごく強い選手を推薦で集めていて、私のような未経験の柔道部員は片隅で練習していました。だからここでもBチームだったなあ(笑)。それに中学校が同じ横浜でもちょっとはずれたところにあって、自宅から電車で片道2時間もかかるため、柔道をやって家に帰ってくるともうへとへとに疲れてしまう。それで2か月ばかりで退部してしまいました。

───中学から高校にかけて熱中したものがありましたか。

中学生のとき、ロックに夢中になったんです。当初は姉の影響もあってラジオで洋楽を聞いていたりしていたんですが、中学2年生のころにはロック好きの友達もできて、海外のマニアックなバンドのCDの貸し借りをやっていました。友達とバンドを結成しようという話になり、ギターを買うために夏休みなどに新聞配達のアルバイトをしました。ギターを買えたときはめちゃ嬉しかったですよ。じゃんけんで負けて、バンドではベース担当でしたが。
そうそう、ライブハウスを借りて演奏もしました。高校時代は地元ではそこそこ有名なバンドだったんですよ。バンドは大学に入ってからも続けていて、そのころには作曲も自分でするようになりました。

───結構本格的ですね。プロのミュージシャンになろうとは思わなかったのですか。

いやあ、大学生のころとてもプロにはなれないと実感しました。これも小脳と運動との関係になるのだけれど(笑)、ロックギターの弦の幅は狭いため、小脳が弦の幅を素早く認識し、その認識に対応して指が動かなければならないんですが、前にお話ししたように、それができない。
バンドをやってよかったと思うのは、母親が、「この子はどうも内にこもるタイプで、何かに情熱を燃やすわけでもなく、このままで大丈夫なんだろうか」と心配していたらしい。
それがバンドをやりだしたというので喜んだ(笑)。

大学でもバンド活動を続けた

大学でもバンド活動を続けた

───学科はやはり理系が好きだった?

はい。物理なども好きでしたが、高校から生物に目覚めました。好きになったのは生物の先生の授業が楽しかったからの一言に尽きます。たとえば「今日は細胞の構造を学びます」といって、黒板に細胞の絵を描くのですが、その絵がすごくうまい。話もおもしろくて、私はすべて吸収してやろうと全部ノートに書き写しました。その授業が終わると先生のところに駆け寄ってわからないところを聞きました。

───では文系の科目はどうだったんですか。

国語は嫌いだったなあ。社会に至っては学ぶ気持ちは全くなくて、休み時間だと思っていたくらい(笑)。いま思えば勉強しておけばよかったと思うけれど、特に高校になってからは歴史がつまらなくて、なぜ世界史なんて学ぶ必要あるのかとさえ思っていました。あっ、でも国語の中でもなぜか、漢文だけはすごく好きで、孔子の「論語」の「子曰く・・・・」や杜甫の漢詩「国破れて山河在り」などは、大昔の中国の人がいまの私たちと同じようなことを感じていると思うと、すごいなあと感じ入りました。

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