この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

科学は世界の共通言語だと実感した留学生時代

───その後、どのようにして、大脳皮質の発生の研究へとターゲットを絞っていったのですか。

大学院を卒業するとき、いったい自分はどんな研究がしたいのかをもう一度考え直してみたんです。いろいろな研究論文に目を通したりして、神経発生の研究をしようと決心しました。神経発生に決めたのは、脊髄の神経発生が専門のコロンビア大学のトーマス・ジェッセル教授の研究で、隣り合った2つの細胞がなぜ違う種類の細胞に変わるのかについての論文が目に留まったからです。
簡単に言うと、隣り合った細胞同士はお互いにコミュニケーションを取り合いながら、自分はこの細胞になるから君は違う細胞になれとか、そうして細胞が分化し、細胞の運命が決まるというのです。
この論文を読んで神経細胞がどのように発生してネットワークを広げていくかに興味がわき、この分野で研究者を募集しているところがないかと探した結果、米国のメモリアル・スローン・ケタリング・癌センターで募集していたんです。
神経発生の研究をしていたわけでもなく、コネもなかったのですが、牛の眼球や肺からひたすら”モノトリ”をしたことが評価されたらしく(笑)、採用してもらえました。そこでポスドクの形で研究をすることになりました。

───そこではどんな研究をしたのですか。

細胞の核の中にあるDNAは、RNAによって転写されて遺伝子としての働きをすることは知っていると思いますが、私が研究したのは、大脳皮質の遺伝子の転写を調節するタンパク質がどんな働きをするのかを解析することでした。その後、スカーボール生物分子医学研究所で細胞の分化に直結する研究ができ、改めて大脳皮質の神経発生をやっていきたいとターゲットを絞ったわけです。

───当時、中枢神経系の細胞分化についてはどの程度わかっていたのでしょう。

まだ神経細胞の分化・調節にどんな遺伝子や分子が関わるのかなど、ほとんどわかっていない時代でした。先ほどお話ししたトーマス・ジェッセル教授が脊髄の神経細胞の分化を決定する遺伝子についての論文を発表していたのが、たしか1999年ごろです。
脊髄の神経細胞は決まった場所に決まった種類の細胞があるなどパターンが限定されていますが、大脳皮質の神経細胞は多様な種類があり構造も複雑で、どの細胞から分化するのかなど不明なことが多く、到底エレガントな実験などできないと考えられていました。それだけにチャレンジしがいがあると思い、大脳皮質の神経細胞の発生や分化についてさらに研究しようと、帰国して理化学研究所にお世話になることにしたのです。

───外国での研究生活はいかがでしたか。

7年間のポスドク生活でしたが、研究に対する考え方の違いは痛感しました。日本では自分が目標を掲げてコツコツやるのが普通ですが、欧米では研究内容に対してものすごく大事なこと以外はみんなオープンで、情報をシェアしあいます。自分の研究の落とし穴が見つかったり、アイデアをもらうこともできました。
日本では、阿吽の呼吸というか、あまりしゃべらなくても他人から理解してもらうことができますが、欧米では自己主張をしないと認めてもらえない。だから、頑張って自分の考えを主張しましたが、かなりハードなディスカッションになっても、議論が終わるとあとくされないところがいいところでしたね。
いちばん大きかったのは、世界の多くの研究者と友人になったり、つながりができたこと。今でも学会で海外に行った時など、親しく話すことができます。科学の良いところはその技術と経験がどこでも活かせるということです。この研究室に行きたいというとき、国内であれ国外であれ、その人を見て何ができるかが判断されることになります。また、そこで独立した研究室を持つことができる。まさに科学は世界の共通言語だと思います。

ラボ旅行でNY州北部のアディロンダック山地へ(前列中央)

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