この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

人の脳死を前提にした臓器移植に違和感を覚える

───大学に入ってからは、思い通り脳の研究ができたのですか。

実際に入ってみると、脳の研究などはできませんでしたね。地方私大の薬学部ではとくに薬剤師の養成に力を入れていたこともあり、有機合成といった「化学」を研究している人が多く、私としては化学合成より生ものを相手にしたいなあと思っていました。
事情があって1年留年したんですが、取らないといけない単位は一つだけという状況だったもので、病態生化学研究室の豊田行康先生にお願いして、肝臓の中のグルコキナーゼという糖代謝酵素を精製したりして、細胞内局在を見る実験をして過ごしていました。朝からラットの解剖をはじめて、夜遅くまで低温室にこもってHPLC(高速液体クロマトグラフィー)と遊んでいましたね。
私が大学に入ったのは1998年ですが、ちょうどそのころ、ウィスコンシン大学マディソン校のジェームズ・トムソンらの研究者が、ヒトES細胞(胚性幹細胞)を単離・培養する技術を初めて開発して注目を集めていたんです。そんな情報に接するうちに、再生医療に興味を持つようになりました。

───再生医療に興味を持った理由をもう少し話してください。

日本では1990年から脳死・臓器移植問題について検討する「脳死臨調」が活動を開始し始めました。その話題に触れて、脳死した人から臓器を取り出すということがどうなんだろうと感じたことも、その後、再生医療に関心を持つきっかけとなりました。
臓器を取り出すということは、その人がもう蘇生することはないPoint of No Returnを決めることなんですが、もし科学の進歩によって、それが延びたらどうするのだろう、それが無性に気になったのです。もっと臓器以外のリソースはないのかと考えていました。ES細胞は受精卵から樹立されますが、神経系の発生からはずっと遡る存在で、少なくとも意思の発生とはまだ無縁でしょう。それが前倒しになることもないでしょう。ですから、他人の臓器を使わなくても細胞や臓器を再生することができる可能性を持ったES細胞はとても興味深いと感じましたね。
それと私が育った田舎町では、トカゲを見かけるのもしょっちゅうで、それがしっぽを切って逃げることを実地で見ていたことも影響しているかもしれません。動物の再生能力を間近に見ていて、身体の再生について潜在的に刷り込まれていたんでしょう(笑)。

───こうして、先生のテーマである再生医療に関する研究が始まるのですね。

ええ、学部の3年生の時に、どこか再生医療について研究させてくれるラボはないかと探したんです。最初は京都大学再生医科学研究所の中辻憲夫教授の研究室をと考えたのですが、なにしろ日本で最初にヒトES細胞を樹立した研究の第一人者ということでものすごい人気だったし、ある学会でお会いできたときに「大学院に行きたい」と希望を伝えると、「うちはドクター以外は採らないんだよ」と、断られてしまった。
そこで、再生医療のメジャーな先生をさらに探して、その当時造血幹細胞の研究に取り組んでおられた東京大学医科学研究所の中内啓光教授の研究室に入りたいと考えました。先ほど脳死臨調の話をしましたが、中内先生は臓器移植については否定的で、免疫や造血幹細胞の研究をすると同時に、動物を利用して移植用の立体臓器をつくる研究を模索していたのです。再生医療に興味を持っていた私にとって魅力的なラボでした。

───中内研究室ではどんなことを研究していたのですか。
東京大学医科学研究所 幹細胞治療研究分野 博士課程3年時代

東京大学医科学研究所 幹細胞治療研究分野 博士課程3年時代

造血幹細胞というのは、体内の血液すべてをつくる能力を持った幹細胞です。さきほども言ったように、もともとES細胞に魅力を感じていましたから、なんとかそれを人工的につくれないか?と考えて、その手始めに他の細胞から造血幹細胞をつくってみたい、と思って研究を始めました。しかし、造血幹細胞は、幹細胞研究のなかでは一番古い歴史を持っていて、造血幹細胞をつくる研究はたくさん取り組まれてきたわけです。いまES細胞やiPS細胞からつくろうとしても、完成度が高いと感じられる造血幹細胞がつくれないほど難しいのです。ある意味、修士だから言える無謀な目標でしたよね(笑)。
そのときに、造血幹細胞の転写因子ネットワークを理解しようと思って、造血幹細胞の遺伝子のプロファイリングを行いました。今では隔世の感がありますが、当時は次世代シーケンサーで網羅的解析を行うにはコストが高くて、古典的な手法と、自分で小さいころからのコンピューター好きを活かしてデータベースとの連携させて、解析をやりました。
そのなかで着目したのが老化制御機構です。現在サーチュイン遺伝子として知られるようになった遺伝子が造血幹細胞の中でも発現していたので、老化抑制遺伝子の研究も行っていました。造血幹細胞は、細胞分裂周期がほかの細胞よりも長いのです。数週間から長ければ数カ月の間、分裂をするのをやめて静止状態を保っている。私たちは「冬眠細胞」などといっていましたが、細胞分裂しないでじっとしているということは、歳をとらないメカニズムに通ずるわけで、造血幹細胞の研究から老化抑制遺伝子を探ろうとしたわけです。
データベースによる遺伝子解析と、細胞の老化研究を合わせて学位を取りました。来る日も来る日もDNAを増幅させて、特徴的だと思われるものができてくると、ウイルスを入れて・・とデータ解析を続けるわけです。今度こそは!と実験を続けるプロセスは中毒性がありますね。実験自体は面白かったのですが、大当たりは出ず、カタルシスを得る境地には達しませんでした。

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