この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

絶対的な正義となりうる生命倫理は存在しない

───中高校生に生命倫理とはどういうものか、やさしく説明してください。

人間の生と死に医療がどうかかわるべきか、迷ったときに参照するものが生命倫理ではないでしょうか。とくに最近、ES細胞やiPS細胞などを医療に応用する再生医療や、遺伝子治療、体外受精など生命科学のテクノロジーが急速に進歩してきたために、生命倫理を再定義する重要性が増してきていると思います。
生命倫理というのは「生命とは何か」を考える、哲学的な研究ととらえる方は多いかもしれません。もちろんそうした研究もありますが、実際に日本で必要とされるのはむしろ、医療倫理の問題だと思います。その観点でいえば、目の前に普通の医療では治らない患者さんがいて困っていたとして、その考え方の手引きとして医療倫理、生命倫理があるとすると考えやすいのではないでしょうか。

───具体的な例を挙げて話してもらえますか。

人間が他人の生命と向き合ったとき、守らなければならない正義には二つあると考えられます。一つが、目の前で苦しんでいる人がいれば、その人を救うためにあらゆる手段を使って救わなければならない。もう一つが、人の生命を傷つけてはならない、奪ってはならないという正義です。この二つは普段は問題なく両立します。
ところが、患者さんを治療するためにES細胞を使うとなると様相が一変してしまう。ES細胞を病気治療や研究のためのリソースとして使うのは、困っている患者さんを助けるという面では合理的であるといえるけれど、ES細胞はこれからヒトの生命に成長する可能性のある胚を使うので、これを使うことはヒトの生命を奪ってしまう、つまりもう一つの正義に反する行為になってしまうわけです。

───このとき、どちらの正義を選べばいいのでしょう。

生命倫理というのは、こうした問題にぶつかったときに、どういう議論がこれまであったのか、どちらを選ぶべきかの考え方を教えてくれるものだと思います。そして、どちらか一方に絶対的な正義があるわけではなく、たとえばES細胞を治療に使おうと考えている医師や研究者は、その片方で違った考え方をする人が存在することをしっかりと自分の視野に入れておくことが大切だと思うのです。
「私たちは絶対的に正義なんだ」と考えるのではなく、こういう言い方は誤解があるかもしれませんが、心の奥に少し後ろめたい感じを持ちながらES細胞を治療に使う、ありえたかもしれない命に感謝をする。そういう思いが大事だと考えています。ある一つの正義や言葉でスパッと切るのは難しいですし、ファシズムですね。

───iPS細胞が誕生して以来、少し過剰なくらいの期待が集まってしまっています。

私は自分の出自からも分かるように、ES細胞やiPS細胞を使った治療やその推進には賛成の立場なんですが、あまりにもその期待が大きいと、できなかったときの反動も大きい。「希望の丘、絶望の谷」という考え方でいえば、希望の丘が高すぎると絶望の谷が深くなりすぎる。絶望の谷を少しでも浅くすることが必要です。
実際、iPS細胞による治療は、ほんの端緒についたばかりであることを知っておいてほしいですね。臨床研究は研究であって治療ではない。多くの人に届くものでもない。
ただ、技術的なことだけでなく、さきほどの「生命とは何か」といった問題に新しい考え方が必要だという点において、ES細胞やiPS細胞は社会に対して重要な問題を提起していると思います。欧米社会では、キリスト教的、主にカトリック系の考え方として、生殖細胞は神秘なものであって、それに手を加えることはタブーだった。しかし、iPS細胞が誕生し、ある条件を与えてやれば生殖細胞に近いものはつくれるということも分かってきた。そうなると、生殖細胞ってそんなに神秘なものなのかという議論は当然出てくるわけで、欧米ではいまそのあたりがきちんと論議されています。日本ではなかなかそういう議論にならないけれど、生命倫理を考えるとき、できるだけ最先端のサイエンスを取り入れながら議論していくべきだと考えています。

PAGE TOPへ
ALUSES mail