この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

植物の世界は不思議がいっぱい!

───研究室選びにあたって、動物ではなく植物を選んだのはなぜでしょう。

ちょうど卒業研究のラボ選びを考えていた1980年代後半に、植物への遺伝子導入が自由にできる技術が開発され、分子レベルで植物の遺伝子発現の基礎研究などができるようになったのです。今までわかっていなかったことが多い分だけ、いろいろなことが解明できる可能性があると感じました。それが植物研究を選んだ大きな理由でした。

───では、卒業研究~その後の院での研究と、植物の遺伝子を扱う研究に取り組んだのですか?

いえ、発生生理学の研究室で組織培養を中心に研究していました。遺伝子の研究ではなかったけれど、とてもおもしろい研究だったのです。植物ってすごく不思議で、メカニズムは完全にはわかっていないのですが、外部から刺激やストレスを与えると簡単に初期化することができるのです。普通、植物は重複受精によって種子が形成され、種子の中にある種子胚から植物が育つのですが、成長した植物の体細胞にオーキシンなどの植物ホルモンを入れて培養すると、「カルス」と呼ばれる旺盛に増殖する細胞塊ができます。そこから培地の組成を変えると、一つ一つのカルス細胞から「不定胚」という胚が発生し、この不定胚からは同じ植物個体が育つ。つまりカルスは、動物でいえばES細胞のようなもので、植物の体細胞が分化全能性を持っていることの証といえるんですね。
ニンジンは、不定胚を誘導しやすい植物として知られていて、私もニンジンを実験材料に不定胚の発生の謎を解明しようと研究に取り組みました。残念ながら当時の技術レベルでは解明できませんでしたが・・・。ただ、動物世界でいえば、不定胚は体細胞を採取して培地にばらばら蒔いておけば赤ちゃんがどんどん生まれるようなもので、とても魅力的なテーマでしたね。

───すると、植物を研究している方にとっては、ES細胞やiPS細胞の誕生は、それほど驚くような出来事ではなかった?

もちろん、ヒトを含めた動物の世界で細胞の初期化ができるということは大変な意義のあることだとは思いましたが、原理的には植物の世界で当たり前のように起きることが動物の世界で起きたのだという意味では、「ああできましたか」という感じはありました(笑)。

───植物の世界は、動物の世界とはまた違ったおもしろさ、不思議さがあるんですね。

その通りです。植物は動物と違って動けないので、いろいろな環境の変化に対してものすごくしぶとくなければ生きていけない。私たち動物は厳密に分化していかないと、病気になったりして、個体として完全性を保った状態では生きていけないけれど、植物はその点、すごく柔軟で、葉っぱや茎などどこを切られても再生していくのです。

───それで先生は、その発生生理学の研究をずっと続けていったわけですか。

いいえ、大学院を修了する時期になって、それまでの研究を続けていても、不定胚ができるメカニズムの謎にはたどり着けない。それを探るためには遺伝子レベルでのメカニズムに切り込む研究が必要だと考えるようになったのです。ちょうどその頃、モデル植物として使われることが多いシロイヌナズナの突然変異体の原因遺伝子をとるというテクニックが初めて開発されました。当時、日本でその技術を持っているのは、基礎生物学研究所の岡田清孝先生(現龍谷大学教授)と、東京大学の米田好文先生のお二人のところしかないということで、私は日本学術振興会特別研究員として米田先生の研究室にお世話になることになりました。

───その頃には、研究者としてやっていこうと決めていたのですか。

米田先生のもとでシロイヌナズナの草丈を短くする原因遺伝子を特定する研究に取り組みました。その変異体の遺伝子は「ERECTA」と名付られていたものの、その分子としての正体はわかっていなかった。私は当時確立されたばかりの植物への遺伝子導入技術を駆使して研究を続け、ERECTAが「受容体型キナーゼ」であることを発見したのです。「受容体型キナーゼ」は細胞間のコミュニケーションに重要な役割を果たすペプチドホルモンを受け取るとされる受容体で、当時、(インシュリン受容体のように)動物では確認されていたものの、植物にはないだろうと言われていました。それが植物の成長や形態形成に関わっていることを世界で初めて示すことができ、高い評価をいただいたことなどもあって、研究者としてやっていこうと決意しました。けれど、日本国内では研究者としてのポストを見つけることができず、海外に目を向けるしかないと必死の思いで受け入れ先を探し、米国イエール大学でポスドクの職を得ました。

───イエール大学のラボはどんな雰囲気でしたか。

世界中から優秀なポスドクが集まっていて、誰かが論文を科学誌に発表すると、そのジャーナルをみんなで、「このデータ甘くない?」など自由に批評しあうなど、すごくアクティブな環境で研究することができました。研究室のボスは、論文をきちんと書くことに厳しくて、その意味でも学ぶことが多かったですね。

───ポスドク時代は、ご自分の研究ができたのですか。

その後、ミシガン大学で研究する機会もあったのですが、やはりラボのボスのテーマに沿った研究をしなければなりません。研究の内容はおもしろかったけれど、このままではボスの研究より優れたことはできないと考え、自分でなければできないテーマで勝負したいと考えました。
幸い、1999年にシアトルにあるワシントン大学で助教授のポストを得て研究主宰者(PI)になれたので、日本の研究室に残してきたERECTAの研究が進んでいないこともあり、自分でこのERECTA遺伝子の機能を探究しようと考えました。それが現在のテーマにつながっていったのです。

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