この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

第43回 米国と日本で研究室を主宰し、植物の発生メカニズムを探究 ワシントン大学生物学部 卓越教授 名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 客員教授 鳥居 啓子

Profile

鳥居 啓子(とりい・けいこ)
東京生まれ。米国の高校を卒業後、筑波大学に入学。1987年同大学第二学群生物学類卒。1993年同大学大学院生物科学研究科博士課程修了。東京大学遺伝子実験施設にて日本学術振興会特別研究員ののち、イエール大学、ミシガン大学でのポスドクを経て、1999年ワシントン大学生物学部助教授。2005年同准教授を経て、2009年教授。2011年ハワード・ヒューズ医学研究所正研究員。2013年名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所客員教授。米国植物生理学会 (ASPB)「米国植物生理学会フェローアワード」、「猿橋賞」受賞。

profile
鳥居先生は米国ワシントン大学生物学部でラボを率いると同時に、名古屋大学の客員教授として、アメリカと日本を拠点に植物の葉の表面にある気孔の発生メカニズムの謎に迫る研究を続けている。2011年には米国で最も革新的な15人の植物学者の一人に選ばれ、2015年には米国での植物科学への貢献を評価され「米国植物生理学会フェローアワード」を受賞。日本においても、自然科学の分野で顕著な研究業績を収めた女性科学者に贈られる「猿橋賞」を受賞するなど、国際的に高い評価を得ている。先生にこれまでの研究プロセスと植物研究のおもしろさについてうかがった。

生き物の観察が好きだった子ども時代

───どちらで子ども時代を過ごしましたか?

生まれたのは東京都杉並区の荻窪です。当時は家の周辺に畑なども残っていて、よく外で遊びまわっていました。結構やんちゃな女の子だったらしく、ある日、大きな雷が鳴って家が停電し姉が泣きだしたら箒を持って外に出て、雷に向かって「お姉ちゃんをいじめるなっ!」って叫んで戦ったそうです。もっとも荻窪に住んでいたのは3歳頃までで、その頃の記憶はあまり残っていません。
その後、横浜市戸塚に引っ越しました。新興住宅地で、近くに森や田んぼがあって、田んぼでオタマジャクシを捕ったり、コクワガタなどを捕まえて越冬させるのが楽しかったですね。キアゲハの幼虫を捕って、蛹から蝶へと育てたこともあります。そのとき、いったい蛹の中では何が起こっているかを見たい気もしたのですが、かわいそうなので解剖することはできませんでした。そのかわり、蛹から蝶になるまでの変化を写真に撮ったりしました。
動物に限らず、何でもその仕組みを知りたいという欲求を持っていたようで、時計なども分解していました。

───小学校時代に興味を持ったことはありましたか。

絵を描くのが好きだったので絵画教室で油絵を習っていました。石膏デッサンをとったり、花びんやリンゴなど静物画を描いたり。それと、叔父の一人がバイオリニストだったので、叔父から音楽教育を受けていました。将来は絵や音楽などアートの世界に進みたいという思いを漠然と抱いていました。
生き物が好きなことは小学生になっても変わらず、ミジンコを捕ってきて接眼レンズが1つしかない顕微鏡で観察していました。やはり理系のことに興味があって、小学生の頃から「ブルーバックス」など科学ものの新書を読んでいましたね。

───成績はいかがでしたか。

小学校時代は、いわゆる『よい子』ではなかったので(笑)・・・。中学生に入ってからの成績は、自分で言うのもなんですが良かった。地元の公立中学校に通ったのですが、成績は10段階で評価されていて、体育以外はほとんどすべて「10」でした。授業で印象に残っているのは理科の先生のこと。その先生は、「どうしてこういうことになると思いますか?」という質問を生徒に投げかけてきました。私が「こういう理由だと思います」と返事をすると「大変良い視点ですね」とほめてくれて、嬉しかったですね。

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