この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

非対称分裂へ研究テーマをシフト

───Caltechでスプライシングの研究を続けていた澤先生が、その後、非対称分裂へと研究テーマを大きく変えたのはなぜでしょう?

大学院時代から、スプライシングの本質的な研究をするにはこれまでの手法では限界があると漠然と感じていたのが、Caltechに留学したことでハッキリしてしまったんです。
もともと、さまざまな細胞がどのように分化していくかに興味を抱き続けていました。ただ、細胞分化というと、細胞外から何らかのシグナルが働いて転写因子が活性化されて細胞分化するというイメージが支配的でした。そしてA細胞の場合はαという転写因子が、B細胞のときは別のβという転写因子が働く・・というふうに転写因子の探索が行われていましたが、いろいろな転写因子を明らかにするだけではちょっとおもしろくない。もっと細胞分化の共通原理を探るような研究ができないかと考え、発生の国際学会に顔を出したり、細胞分化に関するいろいろな文献を読み、自分なりのテーマを探していました。そんなとき、ハワード・ヒューズ医学研究所のロバート・ホロビッツ博士が書いたレビューを読んだのです。1992年のことです。
ロバート・ホロビッツ博士は、遺伝的にプログラムされた細胞死(アポトーシス)の研究で2002年にシドニー・ブレナーらとともにノーベル医学・生理学賞を受賞した方ですが、この記事で細胞死と非対称分裂の知見が紹介されていて、これだ!と思いました。

───先生が「これだ!」と感じたのはどのようなことだったのですか。

ホロビッツ博士と。2002年、ご自宅で開かれたノーベル賞受賞記念パーティで

線虫の胚発生では、生まれた671個の細胞のうち、113個の細胞が死ぬのですが、死ぬ細胞はいつも決まっています。細胞分裂をして、分裂で生じた片方の細胞だけが生まれた直後に死ぬ。なぜ片方だけが死ぬのか? おそらく何かが偏って分配されるしくみがあるはずだろうと。
そのころ、カリフォルニア大学でポスドクをしていた上村匡先生が、ショウジョウバエの末梢神経系の幹細胞が非対称分裂をする際に必要な遺伝子Numb(ナム)を発見し、その後、Numbタンパク質が非対称に分配されることで、娘細胞の運命が決定することが明らかになっていました。
このように、何らかの物質が局在して、片方だけに分配されることで非対称分裂が起こるというイメージはとても新鮮でした。このメカニズムをもっと探究したい、線虫で非対称分裂が起きる根本的な仕組みを調べようと決意したのです。

───この段階で研究テーマを変えることに、不安はなかったのですか?

実はある私大から、スプライシングを専門に助手として来ないかというオファーもいただき、迷っていました。でも就職はできるけれど、その先どうやっていくか。スプライシングでは自分の将来が見通せなかった。テーマを変えるとなると、これまでの研究手法やツールを扱うテクニックも何もかも違いますが、これまでの論文は全部捨てたつもりで、それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟で決めました。

───一から研究をスタートさせるにあたって、ポスドク先はどうしたのですか。

ホロビッツのラボは希望者が殺到しており狭き門だと聞いていたので、それ以外の「これは」と思うラボに、雇ってほしいと打診したのですが、やはりバックグラウンドが違うということで、断られ続けました。ダメでもともととホロビッツに手紙を書いたら、面接に来るように言われました。そして、ハワード・ヒューズ医学研究所の奨学金を得ることができ、ホロビッツのラボで3年を過ごすことになるわけです。
引っ越しのときは、西海岸のCaltechから、イエローストンなどいくつもの国立公園をまわりながら東海岸のボストンまで3週間をかけて車で行きました。中西部は行けども行けども同じ景色しか目に入ってこない。アメリカは広いなあと思いましたね。

───ホロビッツのラボの雰囲気はいかがでしたか。

国籍も、研究のバックグランドもさまざまな研究者が集まっていて、活発にディスカッションしていました。ボスのホロビッツがテーマを与えるのではなく、それぞれの研究者が新しいアイデアを出し、それに挑んでいく。ボスのために研究をするのではなく、ポスドクの間にオリジナリティのあるテーマの研究で成果を出し、研究室を主宰するPI(Principal investigator)になる準備をするというのが大方針でした。ホロビッツのラボで得たものは大きかったですね。ここで非対称分裂のキーとなる遺伝子のクローニングに成功し、それが現在の研究にもつながっています。

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