第44回 多様な細胞が生まれる「非対称分裂」の普遍的なメカニズムを解き明かしたい 国立遺伝学研究所 多細胞構築研究室 教授 澤 斉
Profile
澤 斉(さわ・ひとし)
1962年大阪生まれ。1986年京都大学理学部卒。1991年京都大学大学院理学研究科修了。Caltech(カリフォルニア工科大学)ジョン・エベルソン教授のもとでポスドクののち、1994年米国ハワード・ヒューズ医学研究所研究員。1997年~2001年大阪大学医学部にて、CREST、PRESTO研究員。2001年理化学研究所CDBチームリーダー。2011年より現職。専門は線虫C.elegansを用いた非対称分裂のメカニズムの研究。趣味はテニス。
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───子ども時代はどこで過ごしたのですか?

▲幼いころ
父親の仕事の関係で、京阪神地域を何カ所か転居しました。小学校入学時は大阪府の枚方で、3年のときに寝屋川、4年で兵庫の西宮、6年の途中で再び枚方に戻りました。大阪万博は小1のころ。みどり館の前で長い行列をつくってエンエン待っていたことを覚えています。
───どんなことに興味を持っていましたか?
幼稚園から小学校中学年くらいまでは、理科マンガに熱中していました。本棚に数十冊をずらっと並べて、繰り返し読んでいましたね。とくに宇宙や生命関係のマンガが好きで、例えばからだのしくみなど、自分の血液の中には赤血球クンと白血球クンと血漿クンがいて・・・と擬人化して表現されているわけです。とすると、彼らの血の中はどうなっているのかな、なんてツッコミを入れてみたり(笑)。
そうそう、中学校の夏の自由研究で、調べるのが面倒くさかったので理科マンガに書いてあったことを適当にまとめて出したら、先生に褒められたことがあります。「こんなこと知らなかった!」って(笑)。

▲小学校時代(前列中央)
───スポーツなどはいかがでしたか。
小学校時代はスイミングスクールに通っていました。それと小学校6年生のときに、硬式テニスを始めました。当時住んでいた西宮の社宅の隣に父の会社のテニスコートがあって、そこでテニスを習い始めた母に教わっていました。ちょうどそのころ、ウィンブルドンの女子ダブルスで日本人として初めて優勝した沢松和子さんが、西宮出身だったことも影響していたのかもしれませんね。それからテニスがおもしろくなって、中学、高校、大学とずっとテニスを続けました。
───勉強は好きな方でしたか。
成績はまあ良かったと思います。ただ、西宮にいたとき、神戸ではそこそこ成績がよければ灘中などの有名私立中学に受験するのが一般的で、そのために小5のころから個人指導の塾に通うことになったんです。宿題が山のように出るし、理屈もわからないのに解法のテクニックばかりを教えられる。例えば算数なら、011111・・・を分数で表すと1/9で、0.121212・・・なら12/99だとか。単にルールとして教え込まれるだけなので納得できない。そんなこんなで、みるみるうちに宿題がたまっていくんです。途方に暮れていたら、父親が「申し訳ないけど仕事の関係で枚方に引っ越さなければならなくなった」と。あのときは「救われた!」と思いましたね(笑)。
大阪では、各学区にレベルの高い公立高校があって、公立中学から公立高校に進学するのが普通でしたから、地元の中学に進学しました。
───中学ではどんなクラブ活動をしていたのですか。
小学生のころから水泳をやっていたので水泳部に入ったのですが、クロールが専門なのに、平泳ぎの選手に抜かれてしまう(笑)。これではダメだとテニス部に入ろうと思ったのですが、硬式テニス部がなかったため、部活はせず、近くの市民向けのテニスコートで壁打ちなんかをやっていると、その辺のおじさんが一緒にやろうと誘ってくれるんです。こんなふうにテニスを続けていたら、親が中学の先生に引率をお願いして、同じ学年の友人とともに市の大会に出場することができました。中2のときの北河内大会では、ダブルスで優勝したんですよ。
───そのころ将来何になりたいという夢は持っていたのでしょうか。
実は、科学者になりたいという思いは幼稚園のころから持っていたんです。理科マンガを読んでいた影響もあったのでしょう、幼稚園の卒園式で宣言するんですが、他の子は社長とか、総理大臣と言ってたのに、みんなと同じじゃイヤだし、平凡なのもイヤだと、「博士になりたい!」(笑)。それ以来、なんとなく意識していたんです。中学時代も、テニス選手もいいけれどちょっと無理そうだから(笑)、科学者がいいなぁ、と。理科マンガは宇宙と生命科学が好きでしたが、宇宙はスケールが大きすぎて、どんな研究ができるかのイメージが湧かないから、生命科学がいいのではと漠然と思っていました。