この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

困難も楽しみに感じたオレゴン工科大学への留学

───大学生活はいかがでしたか?

室蘭工業大学ではいろいろな先生との出会いがあり、一生懸命努力するときちんと評価されるなど、充実した学生生活を送ることができました。機械工学科なので女性が少なく、大事にされたと思うのですが、女性扱いされるのが嫌で、つっぱっていました。色紙に「男には負けない」って書いていたんです(笑)。
実は、大学受験では北海道大学を目指したのですが、合格できなかったのです。それで当初は、なじめない感じも持っていたのですが、先生方がそんな気持ちを受け止めてくださってありがたかったですね。それで吹っ切れて、むしろ室工大に入ったことをチャンスに変えようと頑張りました。
例えば、当時、NASDA(宇宙開発事業団=現JAXA)がつくばで宇宙キャンプを開催していて、全国から30人くらいしか参加できないキャンプに合格したんです。各大学で一人しか選ばれなかったので、北海道大学にいたら、まず選ばれなかったでしょう。その宇宙キャンプでは、毛利さんにも会えたし、多くの仲間とともにディスカッションしたり、チーム対抗で紙で作ったロケットを飛ばしたり、プレゼンテーションをしたりと、私にとって大きな財産になりました。

───在学中に留学もなさいましたね。

ええ、これも室工大に入ったからこそ叶ったことの一つです。毎年1人、文部科学省の奨学金をもらって海外留学できる制度がありました。1年生のときから留学を視野に入れて勉強していて、米国オレゴン工科大学に留学することができました。

───留学中はカルチャーショックなども感じたのではありませんか。

オレゴンはすごく田舎で、そういう意味では北海道と変わらなかったし、大学も工科大学だったので、大きな違いは感じませんでした。英語はあまり得意ではなかったのですが、ホームステイ先が教授の家で、ホストマザーが夜遅くまで、英語で話しかけてくれたり、英語上達の手助けをしてくれ、英語もうまくなりました。また、知人から「英語は英語で考えなさい」というアドバイスをもらったことも、英語上達のヒントになりましたね。
もちろん、言葉でいろいろ苦労したことはありました。私の英語では通じなかったり、「I hate Japanese.」と言われて言い返すことができなかったり、悔しい思いもしました。でも、言葉が通じないことで悩むのは留学したからで、日本にいてはそうした経験もできないと考え、落ち込むよりもむしろそうした環境を楽しんでいました。

───オレゴン工科大学では何を学んだのですか。

日本と同じ工科系の勉強をしてもつまらないと思ったので、医学科の科目をいくつも取りました。解剖学の授業で亡くなった方の身体を解剖したり、超音波装置、X線装置についても学んだり、新しいことに挑戦しているんだと、毎日ワクワクしましたね。

スカイダイビングにも挑戦(21歳)

ホストファミリーとともに

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