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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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ショウジョウバエの非対称分裂に必須の遺伝子のクローニングに成功!

———新たなテーマを模索していたころ、転機になったことはありますか。

1985年、博士後期課程のときに吉田キャンパスの化学研究所核酸情報解析施設で行われた線虫C.elegansについての講習会です。線虫の体細胞は約1000個ですが、当時、受精から始まって成虫になるまでの全細胞系譜がイギリスのチームによって解明されたばかり。線虫こそ次代のモデル生物ということで、カリフォルニア大学のロバート・エドガー教授、マサチューセッツ工科大学のロバート・ホロビッツ教授、そしてコロラド大学のウィリアム・ウッド教授が招かれたのです。講習会への参加をご理解くださった柳田先生には感謝しています。
この講習会で講師陣が強調なさったのは、発生におけるさまざまな生命現象が線虫だけでほとんどカバーできるということでした。例えば線虫はふだんはサインカーブを描いて前進するんですが、ひとつの遺伝子に突然変異が入っただけで、前進できなくなってクルクル回り続ける。こうした行動や形づくりの異常と原因遺伝子とが、1対1で結び付くことの爽快さに大きな衝撃を受けました。この遺伝学的手法を用いて、多細胞動物の形づくりのナゾを解き明かしたい、と思ったのです。

講習会修了証書。下に講師陣の署名がある。左からロバート・エルガー教授、ウィリアム・ウッド教授、ロバートホロビッツ教授

———そこで、ポスドク先として、遺伝学的手法で形づくりのナゾ解きに挑戦できるラボを探したわけですね。

形づくりの中でもとくに神経発生についてはまだまだ分かっていないことが多いので、そこをやりたいと考えました。ラボを決めるにあたって、線虫のラボも当然選択肢に考えたのですが、理学部の特別講義にこられた東京大学の堀田凱樹先生に「線虫は這っているだけだが、ハエは飛ぶから面白い」と言われて、「はあっ?」と思いつつも引きずられたのでしょうか、結局決めたのが、ショウジョウバエを用いて神経発生生物学を研究され始めていた、カリフォルニア大学サンフランシス校のユ=ナン・ジャン教授のラボです。奥さんのリリー・ジャンも自身のラボを主宰していて、彼女はイオンチャネルの研究者です。柳田先生がアメリカに行ったときに直接ジャン夫妻に会ってくださって、「ええ人や!」とアドバイスをいただいたことが決め手になりました。

ユ=ナン・ジャン (Yuh-Nung Jan) とリリー・ジャン (Lily Jan)の研究室があった、UCSF の建物。撮影は 1992 年。今は、別の場所に建てられた巨大なキャンパスに移動している

左:ユ=ナン・ジャン、右:リリー・ジャン(1992年)

———酵母とショウジョウバエでは勝手が違うなど、戸惑いはありませんでしたか?

顕微鏡で異常を示す個体を見つけ、その原因遺伝子を探すというプロセス自体は共通性があったので、すぐに馴染めましたね。

———研究テーマは、ユ=ナン・ジャン教授から指示があったのですか?

今から思うとありえないほどの幸運だったんですが、ショウジョウバエのミュータントがすでに用意されていて、この変異の原因遺伝子を突き止めてその役割を探れという課題を提示されました。
普通、ショウジョウバエを研究するときは、遺伝子に異常をきたしたミュータントをたくさんつくって、発生過程や成体になったときにどんな変化があらわれるかを観察しますが、このミュータントづくりがかなり大変なんです。ところがユ=ナン自らがミュータントの小規模なスクリーニングをすでに終え、いくつかミュータントを見つけておられていて、原因遺伝子の探索を誰かにやらせようと待ち構えていた。
また、突然変異が起こったときに、たくさんあるゲノムのどこに生じた変異なのかを調べるのは、けっこう大変な作業が必要だったのですが、私が行ったときは、すでにほかのグループがすごく簡単に原因遺伝子を明らかにする手法を確立していて、それを最初に試して原因遺伝子を突き止められたのです。それで論文を仕上げることができ、2年で日本に戻ってきました。

———大きな発見というのは、末梢神経系の非対称分裂を制御する遺伝子numbの発見ですね。その後、Numbタンパク質が非対称に分配されることで、娘細胞の運命が決定することが明らかになるエポックメイキングな発見につながって、実にすごい!

私がやったのは、非対称分裂をする際に必要な遺伝子の発見と機能喪失変異株の表現型の解析で、Numbタンパク質が非対称に分配されることで2つに分かれた娘細胞の運命が変わるというのは、私の仕事を引き継いでくれた大学院生がやってくれた仕事です。私が作製した抗体では、残念ながらNumbタンパク質の局在を示すことができませんでした。夢にも見たんですが。
柳田先生からは「お前は早まった。2年でやめずに引き続きやっておけば、非対称分裂で独自の分野を築けたかもしれない。それを論文1つ出しただけで日本に帰って来て、大魚を逸した。」と言われましたよ(苦笑)。

Wild type(野生型)

numb 変異体 (Uemura et al. Cell 1989)

野生型に対して、変異体では神経細胞(米粒のように見えるのが一つ一つの神経細胞)の数が、著しく減っている

———アメリカで、ラボを立ち上げて・・ということは頭にはなかったのですか?

たしかに、あの分野の研究の広がりはすごかったですからね。アメリカで自分の研究室を持って引き続きやっていくことも可能性としてなかったわけではない。でも、そこで生き延びられたかというとちょっと自信がなかった。
考えてもみてください。2年前まで大学院生だったんです。それが2年間留学して、たまたま運に恵まれて1つ論文を出したけれど、それはボスが目の前に用意していた仕事をやったにすぎません。自分でラボを率いていくためには、オリジナルなテーマを掲げ、研究費を獲得していかなくてはなりません。経験が浅く、その覚悟もトレーニングも不十分な若造ではとても・・。

———アメリカでは英語のご苦労はなさいませんでしたか。

もともと英語が大好きだったんです。中学のときの先生が「続基礎英語」というNHKのラジオ講座を聞いていれば、1年も続ければ学校の英語の薄い教科書より蓄積はケタ違いだ、とおっしゃるので熱心に勉強しました。高校の先生も素晴らしかったし。それで、大学の学部生のときに英検の1級をとって、3回生の夏休みにウィスコンシン大学マディソン校で2ヵ月間の語学研修を受けたこともあったので、英語についてはそれなりに覚悟して臨めました。もちろん今でも苦労してます。

ポスドク時代に住んでいたアパートの玄関付近で。隣は長女を妊娠中の奥さま。1988年

ジャン研究室内のデスクおよび実験ベンチ。ひたすら研究に専念した時期。1988年

———ユ=ナン・ジャン教授から学んだことは?

ユ=ナンとリリーは、最初から別々のラボを率いていますが、お二人とも30年に渡り「ヒューズ・インベストゲーター」、つまりハワード・ヒューズ医学研究所(HHMI)の研究費を得た科学者として活躍されています。継続してHHMIのサポートを受けるためには、常に最前線で新しい科学の地平を切り拓き、研究をリードしていくことが必要です。昨年に二人の70歳の誕生日をお祝いする同窓会シンポジウムがあったんですよ。世界中から出身者が集まりました。私ももちろん出席させていただきました。お二人の常に新しい分野を興し、挑戦をためらわない姿勢を見習いたいですね。

2016年の同窓会シンポジウム (Jan lab reunion symposium)での交流会(後列右から2人目)。後列左端は、リリーのグループのポスドクをされて、ビッグヒットを発表された久保義弘さん(自然科学研究機構・生理学研究所・教授)