公益財団法人テルモ生命科学芸術財団

中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

第48回 「遺伝子型」一辺倒ではなく、「プラス栄養環境」で動物の一生を見渡すサイエンスをめざしたい 京都大学大学院 生命科学研究科 多細胞体構築学講座 細胞認識学分野 教授上村匡

小さいころから「将来は研究者」と、京都大学理学部に進んだ上村先生。柳田充弘先生のラボで、染色体の分配の研究をスタート。ポスドク先で末梢神経系の非対称分裂を制御する遺伝子numbを発見、帰国後も細胞や組織の形づくりで重要な働きをする「7回膜貫通型カドヘリン」フラミンゴなど、次々と成果を上げてきた。近年は一転、栄養発生生物学という新しい分野に精力的に取り組んでいる。常に新しい分野にチャレンジし、ブレイクスルーとなる成果を上げたいと熱く語る上村先生だ。

profile

上村匡(うえむら・ただし)
1960年大阪・八尾市生まれ。1978年大阪教育大学附属高等学校平野校舎卒業。同年京都大学理学部入学。82年同大学卒業。87年同大学院理学研究科博士後期課程(生物物理学専攻)修了。同年カリフォルニア大学サンフランシスコ校生理学教室Yuh Nung Jan 教授のラボでポスドク。89年京都大学理学部生物物理学教室竹市研究室助手。99年京都大学ウイルス研究所遺伝子動態調節研究部門分子遺伝学研究分野教授。2004年より現職。趣味は映画鑑賞。濃厚な人間ドラマや海外の刑事ものが好き。

京都大学時代の恩師・柳田充弘先生との出会い

———どんなお子さんでしたか。

大阪の八尾市で生まれました。小さいころから本やドラマが好きで、片っ端から読んだり観たりしていましたね。伝記のほか戦記ものにも熱中して、第二次世界大戦下のアメリカ陸軍歩兵連隊の活躍を描いたアメリカのテレビ映画の「コンバット」を親父と一緒に見ていました。

———生命系の研究者の方にお話をうかがっていると、昆虫が好きだったという方が多いのですが、先生はいかがでしたか。

昆虫採集などもやりましたが、中学のときの理科の先生が非常に熱心な方で、データなどにもとても厳格で、「夏休みの宿題で、虫を並べただけのものは受け付けない」と言われたので、ダンゴ虫の体長を測ったりした記憶があります。どちらかというと昆虫を捕るより飼育するほうに興味が向いていましたね。カブト虫を飼ったときも、どうにか冬を越させようとトライしたけれど、あまりうまくいかなかったことを覚えています。

———スポーツなどは?

中学のときはサッカー部でした。技術も何もありませんでしたが、MFで使っていただいたのでとにかく走り続ける体力はつけるように努めました。1974年のFIFAワールドカップ西ドイツ大会の決勝戦は今でも鮮明に覚えています。あのときの写真を、今もPCの壁紙にしているんですよ。「英雄たちの競演」とはまさにあのゲームを指すのではないでしょうか。

中学時代はサッカー部に所属。試合中の一コマ(右端)。味方ゴールを背に、とにかくクリアで精一杯。雨中のひどいグラウンド状態の中でした。たしか負けました・・・(1974年?)

———当時から「将来は研究者」と考えていましたか?

夢は科学者になることでした。小さいころから、野口英世とか、ノーベル賞を二度受賞したキュリー夫人の偉人伝を読んでいて、漠然とサイエンスに対する憧れを持っていたように思います。ただし、医者はアカン、生身の身体を切るなんて自分には絶対できないと思っていましたね。

———京都大学の理学部をめざしたのは?

やはりサイエンスができる、特に基礎研究ができるという憧れがありました。「理学部なんかに行って将来どうするんだ」いう声も耳にしましたが、サイエンスそのものをやりたいという思いが強かったので、それには京都大学だ、と。
1回生のころだったかな、サイエンスを報道する新聞記者のような仕事も面白いのではと新聞記者のおじに話したら、「やめておけ」と言われました。「サイエンスに興味があるなら新しいサイエンスを自分でつくり出すことをやりなさい」とアドバイスされました。それでも2回生ぐらいまではフラフラしていて、将来を決定づけたのは、いま沖縄科学技術大学院大学(OIST)におられる京都大学名誉教授の柳田充弘先生の研究室に入ったことですね。

京大理学部3回生の学生実習中。1981年?

———柳田先生の研究室に決めたポイントを教えてください。

ひとことでいえば「Character(強烈な個性)」ですね。所属研究室を決める前に、各研究室の先生方が入れ代わり立ち代わり教えてくれる研究室単位の実習があって、3回生の後半からは論文セミナーなども行われていろいろな先生方にお目にかかれるのですが、そこで柳田先生の実習に参加したのです。ショックに近い感動を覚えましたね。実習の内容がご自身の研究に近い新しいもので、助教の先生も含めて非常に熱心で、実際に研究に使っている研究室の機器類なども使わせてもらえました。先生のそれまでやってきた研究から方向転換して、新しい研究にチャレンジしている姿が、非常に魅力的でした。

———柳田先生が研究の方向転換をされたばかりというのは?

柳田先生は、当初ファージというバクテリアに付いて繁殖するウイルスをモデル系として研究されていたのですが、ファージではヒトの長いゲノムDNAがどうやって染色体というコンパクトな形に折り畳まれて、分裂のときに娘細胞へ染色体を均等に分配していくのか、そのメカニズムは分からないと見切りをつけて、酵母に着目されたんですね。
今でこそ酵母は真核細胞のモデル生物としてさまざまな研究に用いられていますが、当時は「酵母なんてバクテリアと変わらない」という扱いでした。しかも主流は出芽酵母だったところを、柳田先生が研究対象に選んだのは、さらにマイナーな分裂酵母でした。先生は「今に見ておれ」という気概を全身から溢れさせておられました。その後、真核生物の染色体分配に関する因子を次々に同定するなど、大きな業績を上げていくのです。

———上村先生は柳田研でどのような研究に取り組んだのですか。

細胞が分裂する際に染色体の分配が異常になったミュータント(突然変異体)を見つけて、その原因遺伝子を同定し、異常が生じるメカニズムを探るアプローチが盛んでした。当時は蛍光タンパク質などありませんから、生きたまま分裂の様子を見ることはできなかったので、ひたすらDNAを蛍光色素で染め出して顕微鏡を覗いて、染色体が正常に分配されずにこんがらがっていたり、一方の娘細胞に染色体が分配されない変異体などをピックアップしていくという毎日でしたが、面白かったですね。私はその中で、DNAトポイソメラーゼと呼ばれる酵素に興味を惹かれ、その遺伝子の変異体の表現型を見つけたときは、この研究で学位が取れるのではと期待しました。しかし、ではそのあとどんな研究に取り組むべきか、悩みましたね。研究室には優秀な先輩・後輩が大勢いるわけです。同じことはできない、もっと違うことを探さなくては、と考えました。

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