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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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1歳の双子を連れて米国へ

———卒業後は歯科医の道へ?

卒業してすぐに結婚し、口腔外科に入局しました。口腔外科は全身的な管理も必要とされ、口腔がんの治療もありますし、どこか医学部的な志向があり、迷いなく門をたたきました。教授からは「うちは女性の先輩もいるから、結婚してもすぐに辞めずに、まず3年は頑張ってごらんなさい」と言われました。
3年間、臨床をやって教授からの勧めで大学院へ。ふつう、歯学の博士号を取得するまでは大学院で4年間は学ばなければなりませんが、当時、医局の人数が少なかったので「2年で研究を終わらせてこい」と教授に言われ、必死になって実験して2年で論文をまとめることができました。指導の先生にも恵まれ、運が良かったのだと思いますが、その後は臨床に戻り、麻酔の研修などを経て3年で短縮修了できました。
学位を取ったら、どこかの病院の歯科に勤めたい、というのが当時の私のビジョンだったんです。ところが・・・。

———そこでターニングポイントが訪れるわけですね。

2000年に子どもが生まれました。学位を取って2年目。なんと、男女の双子でした。いっぺんに2人の子どもを抱えて子育てに追われていたとき、夫が「留学したい」と言い出したのです。
そのころ私はすでに臨床に復帰していて、保育園に預けられた子どもたちは交互に病気し、両方の実家の助けがなければ子育てしながら仕事をするのもままならないハードな状況でした。「置いていかれるのはイヤだな」と思ったものの、私が子どもを連れて留学先についていくことにまわりは「大変すぎる」と猛反対。口腔外科の上司からも実家からも止められました。
でも、大学院のとき、指導してくださった先生の勧めでアメリカがん学会に出席してプレゼンテーションを行った経験があり、そのとき「将来こんなところで短期間でも研究ができたら」とアメリカでの生活に漠然とした憧れがあったんですね。それで、実家の助けも何の援助もないことは覚悟のうえで、あとのことは深く考えないことにし、夫と一緒に子どもを連れてアメリカに行くことにしたんです。
専業主婦として行くわけですが、博士号は持っていたので、いつ何どきポスドク(ポストドクター、博士号取得後に任期制の職に就いている研究者のこと)として働けるようになるかもしれないと、研究員用のビザは準備して渡米しました。

———専業主婦をやめて、研究を始めることになったきっかけは?

渡米後は子どもたちはまだ1歳になったばかりで、日々の子育てで手一杯だったので、自分も研究したいという気持ちはそこまで強くなかったのです。背中を押してくれたのは夫でした。4カ月ぐらい経ったころ、「いつまでも家の中にいることはない。そろそろラボに空きができるからボスに聞いてみるのでやってみないか」、と言われました。
私としては心配なのは子どものことです。まだ小さいので、熱を出して休まなければいけないことだってある。そんなとき、同じラボなら交代で休むとか夫婦でカバーしあえると夫は考えたわけです。

———そこで、ハーバード大学医学部小児病院のラボで研究を始めることになるわけですね。何の研究をするラボだったのですか。

がんの血管新生についての研究です。がん組織を養う血管を標的としてがんを兵糧攻めにしようという「血管新生阻害療法」を提唱したのがハーバード大学小児病院のジュダ・フォルクマン博士で、そのフォルクマン博士が主宰するラボのもとで、何人かいる博士の教え子がそれぞれ傘下のラボを持っていて、その1人のマイケル・クラグスブラン先生のラボでした。
とはいえ、最初は机も与えられず、パートみたいな形で始まったんです。「奥さんまで雇う約束はしていないよ」と当初はずいぶん言われました。幸い、しばらくして日本学術振興会海外特別研究員にも採用されて、そこからの支援も受けるようになりましたが。

———先生は、そこでどんな仕事を?

クラグスブラン先生から「まだ誰も成功していない研究プロジェクトがあるが、やってくれないか」というテーマを与えられました。それが、私がいま取り組んでいる腫瘍血管内皮の研究だったのです。
マウスの腫瘍組織に含まれる腫瘍血管内皮細胞を分離・培養し、正常細胞と腫瘍細胞とで何か違いがあるかどうかを調べるプロジェクトです。腫瘍血管内皮細胞はわずか1~2%しかありませんから分離するだけでもたいへん難しく、正常細胞との違いがあったらおもしろいが、違いはないかもしれない。とにかくやってみなさい、ということでした。

マイケル・クラグスブラン・ラボのメンバーと、前列右から2番目が樋田先生、その隣がボスのクラグスブラン先生(留学時代後半)

留学先の自宅で開催したラボメンバーとのバーベキュー。左から3番目、お子さんを両脇に抱えているのが樋田先生、その右隣りがパートナーの樋田泰浩先生とクラグスブラン先生