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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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第49回 がんを養う血管内皮細胞の特性を利用して新しいがん治療法開発へとつなげたい 北海道大学 遺伝子病制御研究所 フロンティア研究ユニット 血管生物学研究室 特任准教授 樋田京子

北海道大学遺伝子病制御研究所 血管生物学研究室の特任准教授である樋田京子先生は、がんに特有の血管内皮細胞(腫瘍血管内皮細胞)を分離・培養してその特異性を見出す研究に取り組み、定説を覆して、腫瘍血管内皮細胞に染色体異常があることを世界で初めて発見。現在、腫瘍血管内皮細胞の特異性を活用した医療の実用化を目指すプロジェクトの先頭に立っている。そんな樋田先生の研究者としてのスタートは、臨床医であるご主人の留学に同行して1歳になったばかりの双子を連れて渡米したことだった。樋田先生が独立したラボを率いるに至った軌跡とは──?

profile

樋田京子(ひだ・きょうこ)
北海道生まれ。1992年3月北海道大学歯学部卒業。92-95年同大学歯学部附属病院・第2口腔外科勤務、98年北海道大学歯学部大学院短縮修了。歯学博士。日本学術振興会特別研究員を経て2001年ハーバード大学医学部小児病院 Vascular Research Program研究員(02-04年 日本学術振興会海外特別研究員)、04年同助手。05年4月北海道大学大学院歯学研究科口腔病理病態学教室助手、07年助教を経て、09年4月に血管生物学教室特任准教授。14年より現職。

絶対勝つと臨んだ中体連での敗北が最初の挫折?

———ご出身は?

北海道です。父は高校の英語教員、母は看護師でした。父の仕事の関係で何度か引っ越しましたが、小中学校のころは札幌の南の広島町(現在の北広島市)に住んでいて、そこでのびのびと育ちました。雑木林や小川がある自然豊かなところで、ちょっとした探検気分を味わうような遊びを友だちといっぱいしていました。きょうだいは妹と弟。母が看護師だったので、夜勤のときや夏休みは、妹弟の面倒を見るのが私の役目でしたね。

———子ども時代の一番の思い出を教えてください。

小学校のころから父が好きだったバイオリンを習っていました。民放のテレビ局のHBC(北海道放送)がジュニアオーケストラを持っていて、そこに入って毎週日曜日に練習したり、定期演奏会のために合宿したりと、楽しかったですね。
スポーツも好きでした。私が通っていた中学は卓球部が強かったので、そこに入って、全国大会をめざして部活に明け暮れる毎日を過ごしました。午後6時ぐらいで部活が終わっても、仲間と町民センターに行って夜の9時ぐらいまで練習し高校生に練習をつけてもらったりしました。日曜日はジュニアオーケストラの練習がありますから、勉強は卓球の練習やオーケストラの練習で札幌まで通う電車の中という感じでしたね。

———卓球の成績はいかがでしたか?

それが最初の挫折かもしれません(笑)。中3のころ、全国大会出場を目指す全道の大会に出場して、団体戦で負けてしまいました。個人戦はベスト8まで行けば全国大会に出場できるのですが、ベスト16止まり。やると決めたら絶対勝ちたいと、札幌にある強豪の高校に毎週出かけていって練習をつけてもらったり、雑誌を見て研究を重ね、トレーニング方法を工夫して、練習日記をしっかりつけて・・・とまるで今の研究生活みたいに目標に向かって努力したのですが、夢破れて、中学3年の8月ぐらいから勉強に専念するようになりました。でも、そのときの友だちとは今でも、みんな違う分野に進みましたが仲良くしています。

中学卓球部のメンバーと(右から2番目)

———高校でも卓球を続けたのですか?

高校の部活で選んだのは陸上部でした。卓球部からも誘いはあったものの、中学のとき陸上もやっていてそれなりの成績を出せていたので、陸上部もいいかなと練習を見に行ったところ、3年生の部長に、「陸上部なら短時間でも一生懸命練習すれば結果を出せるぞ」と言われて、一緒に行った友人ともども、みんな“洗脳”されて陸上部に入りました(笑)。その部長が、今の夫(樋田泰浩・北海道大学循環器・呼吸器外科准教授)です。

———先生の陸上のご専門は?

800m走です。結局、膝を壊して結果を出せなかったのですが…。

———サイエンスの道を目指そうと思ったのはいつごろからですか?

英語と物理・化学は好きでしたが、数学はそれほど好きではなく、父の影響もあって英米文学が好きだったことから文系もいいかなと思っていました。でも看護師をしていた母から「女性は手に職を持っておいた方がいい」と言われて、それなら地元の大学の医療系か教師あたりと漠然と思っていたところ、高校に入って成績も上がってきたので、行けるものならと医者を目指すことにしました。

———それで歯学部に進んだわけですね。

実は、第一希望は北大の医学部だったのです。というのも、陸上部の部長が引退してから付き合い始めたのですが、彼は1浪して北海道大学の医学部に進学したんですね。だから私も同じ大学に行きたいと。
ところが、共通一次で失敗してしまって、思った点数が取れませんでした。両親は「1浪してもいい」と言ってくれ、高校の先生にも「北大以外の大学の医学部なら行ける」と言われたんですが、彼と同じ北大でなければ絶対ダメだと一途に思って、歯学部に進みました。父親はすごく怒って、「なぜ初心を貫かないのか」と一時期、口をきいてくれなくなりました。でも、常日ごろ「女性は手に職を」といっていた母は「ちゃんと資格を取って歯科医になれば、女性には向いている仕事じゃないの」と言ってくれました。

———大学でもスポーツは続けたのですか?

大学では全学の陸上部に入りました。全学対象ですから学部をこえていろいろな学生と交流があるので仲間に恵まれ、楽しかったですね。夫も陸上部で、高校時代の彼の専門は400mでインターハイに出場していましたが、大学に入ってからはハンマー投げや円盤投げをやりはじめて、それでまた大会で入賞したりしていました。私は、全道の私立大学を含めた大会では勝てるような速さはなかったけれど、旧7帝大による全国7大学対抗女子陸上競技大会では、高校のときよりタイムを縮めて800mで優勝することができました。

歯学部時代 (臨床実習でペアの学生の治療を行った)