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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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世界的な神経再生のラボに留学

———それから神経幹細胞からの分化機構に本格的に取り組んでいくわけですね。

研究を進めるうち、ほかにも興味深い現象に気づきました。
マウスは約20日で生まれますが、同じサイトカインをかけても、マウスの発生の遅い時期(胎生後期)の神経幹細胞はアストロサイトになるのに、10~11日ごろの胎生中期のものはアストロサイトに分化しないのです。いったいなぜだろう?とあれこれ原因を探っているときに、大学院時代、先の遺伝情報実験施設でご一緒したことがある佐々木裕之先生(現・九州大学生体防御医学研究所教授)が「DNAのメチル化っていう、おもしろい現象がある」という話をされていたことを思い出したのです。

LIFというサイトカインを投与すると、胎生後期の神経幹細胞は赤く光るアストロサイトに分化するが、胎生中期ではアストロサイトは現れない

———遺伝子の発現がオンになったりオフになったりする現象のことですね。

そうです。簡単にいうと、あるサイトカインで遺伝子の働きをオンにしようとしても、標的遺伝子のDNAがメチル化されていると、転写因子がくっつけずに、転写が誘導されないのです。
そして、胎生中期と胎生後期の遺伝子を比べてみると、胎生中期ではアストロサイトになるべき遺伝子がメチル化されていて、後期になるとそれがはずれていることを突き止めました。今でいうエピジェネティクスですね。
この論文は2001年にDev Cell誌に掲載されました。2001年当時、エピジェネティクスを研究している人はあまりいなかった。これが2つ目の転機といえます。

———その後、サンディエゴのソーク研究所に留学されます。どこの研究室に行ったのですか?

フレッド・ゲージ(通称ラスティー)のラボです。彼は1998年に、成人の脳にも神経幹細胞があって、とくに学習と記憶にかかわる部位で神経細胞が新生することを世界で初めて実証した脳神経科学の大御所です。私がそれまでやっていたのは胎仔でしたから、大人の神経新生の分野で新しいチャレンジができると考えたのです。それに、先ほど言ったように、ソーク研究所は絶好のサーフポイントのあるサンディエゴにあります。「ここしかない!」とレターを出して、OKをもらいました。

———フレッド・ゲージはどんな先生でしたか?

ビッグラボのボスは怖い人が多いというイメージがあるかもしれませんが、メンバーの主張をきちんと聞いてくれるし、すごくやさしい、いい人です。スウェーデンに留学したときに言葉ができず苦労したことがあるらしくて、かみさんが英語が通じず困っているという話をしたら「わかるよ」と言ってくれました。なんとマーシャルアーツの達人で、プロになるかどうか悩んだこともあるらしい。

———先生の少林寺拳法と勝負しました?(笑)

とんでもない。相手はプロになろうというほどの腕前なんですから(笑)

———ゲージのラボではどんな研究に取り組んだのですか?

実はこれをやろうと持っていったテーマがあったのですが、1か月くらいでうまくいかないことがわかった。焦りましたねぇ。いったんニューロンになった神経細胞は、もうアストロサイトにはならないようアストロサイトに分化する遺伝子にメチル化のロックがかかっているに違いないと仮説を立てていたのです。ところが、神経幹細胞をニューロンにしてメチル化されているかどうかを見たら、何と、全くされていないことがわかった。ものの見事に、仮説が成り立たないことが明らかになってしまったのです。1年くらいうまくいかず、胃の痛くなる日々を過ごしました。

———ほかのテーマを探さなければならなかった…。

テーマとしては、一度ニューロンになった細胞をほかの細胞にできたらおもしろいなと考えていました。今でいうリプログラミングですね。例えばニューロンに分化したあとは、通常はアストロサイトにはならない。そこで遺伝子の発現を上げるバルプロ酸という抗てんかん薬として使われている薬をかけてみたのです。この薬剤は、染色体を構成しているヒストンの脱アセチル化酵素を阻害する機能を持っています。脱アセチル化を阻害するということは、アセチル化を促進するということで、これをニューロンにかけると遺伝子の発現がオンになる。つまり、眠っていたニューロンの分化能を再び起こせるのではないかと考えました。

———理屈ではそうなりそうですが。

とはいえ、ものごとはそう簡単にはいかなくて、もっと複雑なメカニズムが働いていて、分化が抑えられていたんです。薬剤の濃度を変えたりといろいろ試しても、ニューロンはニューロンのまま。「ああ、このテーマもダメかな…」と思っていたら、たまたま余ったディッシュに入れておいた神経幹細胞にもバルプロ酸をかけたところ、なんとニューロンがたくさんできていたんです。これを見た瞬間、「日本に帰れる」と思いましたね。
そこで培養ルームから遠く離れた教授室まで走っていって、ラスティーを連れてきて顕微鏡を見てもらったんです。「ワーオ!」と驚いてくれた。あのときはうれしかったですね。

———それまでの苦労が報われた瞬間ですね。

日本では神経幹細胞の研究でそれなりに成果を上げていたから、アメリカの世界的に有名なラボで何を成し遂げられるかと周囲がみているんじゃないかと、勝手なプレッシャーを感じていたんです。
みんなからは、「サンディエゴでサーフィン三昧なんてうらやましいですね」、とよく言われましたが、それどころじゃない。もちろん、ちょっとはやりましたが、朝一でサーフィンをしたあとはラボへ。最初の1年間は、風邪で体調を崩した2日間以外は、毎日ラボに出かけていました。

休日、サンディエゴの海に3人の子どもを連れて

送別会で、ボスのラスティーとともにケーキを切る

———アメリカで得たものは。

「The squeaking wheel gets the grease.」ということですね。マウスやラットの飼育担当のおじさんに教えてもらった言葉で、キーキー言うタイヤは油をさしてもらえる。つまり、何かをやりたいときは、口に出して言わなきゃダメ、黙っていても通じないということですね。
それと、人脈です。私が留学したのは2年間ですが、短期ならビッグラボがいい。何年もいるなら、中堅で伸びそうなところがいいかもしれませんが。ちょっと学会で会っただけの関係じゃなくて、短くても同じラボの空気を吸った間柄とではまるで違います。メールで相談するにしても、材料をもらうにしても、共同研究をやるにしても、スピード感が違う。知り合いは多ければ多いほどいい。とくに要求レベルが上がっている今日では、一つのラボで技術をすべてまかなうことは難しく、共同研究は必須ですから。