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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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研究者を志すも、「女性は不可」の現実に直面

———研究者になろうと思ったきっかけを教えてください。

大学に入って1年もたたないうちに交通事故に遭って足を骨折したんです。複雑骨折で、医師のミスもあって8カ月ぐらい入院しました。同じ病棟にリウマチの患者さんもいて、リウマチの症状が次第に悪化して亡くなるのを間近で見ていて「なんとかならないか」と思うようになりました。ちょうどそのころ、たまたまNHKのテレビを見ていたら、リウマチは免疫療法で治るというような番組をやっていて、感化されやすいので「これからは免疫だ。免疫でリウマチの患者さんを救えるようにしたい!」って、もう単純に思ってしまったんです。
今でこそ日本の免疫研究は世界の最先端ですが、私が学生だった当時はアメリカがものすごく進んでいて、世界をリードしていたんですよね。免疫を学ぶならアメリカに行かなければと思って、そこから留学を考えるようになりました。研究者をめざそうと思ったのはそれがきっかけですね。
それともう一つ、研究者になりたいと思った出来事がありました。

———それはどんなことですか?

大学3年で薬理学の講義を受けていたときです。当時助教授だった先生の講義がとてもおもしろかったんですよ。免疫薬理学について研究されていて、ご自身の研究について生き生きと話してくださったんです。「これから日本で免疫薬理学の分野を開拓していくんだ」と熱く語るその姿を見て「私も免疫の研究をしたい!」と真剣に思うようになりました。それと、リウマチの患者さんを救いたいという思いがピタリと重なったんですね。
4年になると研究室に配属されるので、講義のあとすぐ先生のところへ行って「先生の研究室に入れてください」と頼んだところ、「研究室は女人禁制です」って。今だったらありえない話ですが、当時は平気でそう言われたんです。それでも諦めずに、何とか入れてほしいと食い下がったら「特別に」というので入れてもらい、研究に明け暮れる毎日が始まりました。

———薬剤師になる夢はどうなったんですか?

子どものころ薬の世話になることが多かったので薬剤師の仕事に興味はありましたが、「数が数えられてハサミが使えれば薬局で務まる」みたいなことを言われて、それよりも免疫の研究のほうがずっと魅力的だと感じたんですね。
でも、薬剤師の資格はちゃんと取ったんですよ。4年のときはずっと研究室に入り浸っていて、資格取得のための補講には1回も出席しなかったため、みんなから「絶対に落ちる」と言われましたが合格しました。もっとも、免許は持っているけれど、1回も使う機会はありませんでしたが……。

———卒業後に国内の大学院に進む選択肢もあったと思いますが、留学することにした理由は?

学部生でも「女人禁制」を理由に入れてくれないほどですから、ましてや大学院は女性は絶対にだめだと言われました。国内のほかの大学を探す手もあったかもしれませんが、アメリカで免疫を学びたいと思っていましたから、大学卒業とともに留学する道を選びました。

ラボに遊びに来てくれた友人と研究室で(薬理学教室にて)