公益財団法人テルモ生命科学振興財団

中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

岩手県警に「検挙」される

———盛岡での下宿生活はいかがでしたか。

高校1年の最初の定期テストの時、頭をクリアにするには睡眠時間が大切だと思って、前日は9時に寝ました。すると同じ下宿の先輩が「中里、試験前というのは12時ぐらいまでは起きて勉強するものだ!」と言うのです。驚きましたね、夜遅くまで起きているなんて不良のやることだと思っていましたから。なにしろ私が深夜12時まで起きているのは大晦日の紅白歌合戦の時ぐらい。「そうか、盛岡の人たちは、遅くまで勉強するのか!」と初めて気づいたというわけです。これはほんの一例で、陸前高田の田舎から出てきたばかりの高校1年の時が、私の人生の最大のカルチャーショックでした。その後、アメリカに留学もしましたが、あのときに比べたら全然へっちゃら(笑)
最初の定期テストで自分が上位にいることを知り、勉強に自信が持てるようになりました。それからはほとんど毎晩、12時まで勉強していましたよ。

———ホームシックにはなりませんでしたか?

いいえ、まったく。最初の5月の連休に、実家に帰ったんですけど、すぐに飽きてしまい、勉強することを理由にして2日後に盛岡に戻ってしまいました。あの時、母はすごいショックで泣いたそうです。

———盛岡一高といえばバンカラの気風で知られる高校です。在学中のエピソードは何かありますか。

あります。警察につかまりました(笑)

———いったい、何をしでかしたんですか?

盛岡一高では当時、女子は2割以下でした。1年の時は男子のみのクラス、略して「ダンクラ」でした。その仲間たちで、文化祭で「月の石」や「ベルサイユ宮殿の石」などを集めて「珍品展」をやろうということになったのです。「月の石」はウソですが、「ベルサイユ宮殿の石」は同級生の鈴木康之君が父親の出張旅行についていって、ベルサイユ宮殿からとってきたホンモノ。ほかにも、盛岡市長の工藤巌さん宅に行って、自宅のトイレットペーパーを供出してもらい、奥様にお願いして「工藤」のハンコまで押してもらって展示したり。さらには、盛岡市内の主だった表札の拓本をとろうということになりました。
検挙されたのは文化祭の前夜です。憧れの私立女子高の校門前に深夜零時に6人が集合しました。まず女子高の校門の拓本をとり、次いで岩手医科大学附属病院、盛岡地方裁判所、盛岡市役所と、次々に拓本をとってまわり、最後に岩手県警盛岡警察署の正面玄関へ。鉄パイプの柵を運んできて、3人が抑える係、別の3人が上に乗って大きな表札の文字の拓本をとり始めたちょうどその時、ダダダダッと盾を持った機動隊員が走り出てきて、私たちを取り囲みました。「お前ら何やってるんだ!」というわけですね。結局、お説教されて夜中の3時ぐらいに帰されましたが、帰る前に警察官から「まだ拓本は途中のようだな。ちゃんと最後まで拓本をとって帰れ」と言われました。

———お説教ですんでよかったですね。とった拓本はどうしたんですか?

もちろん、展示しましたよ。文化祭が終わった時、応援団特製の手拭いを持って警察署に謝りに行きました。そうしたら翌日「岩手日報」という地元紙の記事になりました。「岩手県警、盛岡一高生を検挙!?」という見出しで(笑)。謝りに来たのがおもしろいというので、社会面ではなくコラム記事でした。

———多少ハメをはずしても笑って許してもらえる、いい時代だったんですね。

要するに私たちは昔のバンカラ学生に憧れてまねをしたわけですよ。エリート意識の現れですから自慢できる話ではありませんが、地元の人たちも警察も、そんな高校生をやさしく見てくれるところがありました。今なら、どんな風に処分されるんでしょうね。

———クラブ活動などは?

卓球をやっていました。朝も夜も練習に明け暮れました。休日には長い距離を走ったし、思いつくことは何でも練習に取り入れたけれど、すべて無駄。そこそこ勝つことはできたのですがも、最後はレギュラーにもなれませんでした。悲しいけれど、いい経験です。
部活で私が学んだことは、「人間、どんなに努力しても叶わないことがある」という現実です。この経験は、今に至るまで本当に役立っていますよ。

———スポーツって、ある意味残酷なところがありますよね。勉強は?

スケジューリングが大好きで、時間をきっちりマネジメントしていました。
夏休みに、自分が1日のうち何時間勉強できるのか実験したことがあります。限界は12時間30分。これ以上長く勉強をすると、吐き気がするなど精神的ストレスを感じて、能率が落ちるのです。あたりまえですよね。それで勉強は1日12時間、寝る時間は昼寝も入れてきっかり8時間などと決めていました。
勉強時間管理用ノートを作って、50分勉強+10分休憩を1スロット(時間枠)とするのです。もう一冊のノートには「やるべきことリスト」を書き、斜線で消していく。二つのノートを管理するため、1日の最後の30分はスケジューリングを見直すスロット(時間枠)です。目標が達成できなかった日のために、毎週、予備枠まで設けていました。同級生から見れば、イヤなやつですよね(笑)
筆まめで、中学1年の時から大学を卒業するまで、毎日、日記もつけていました。スケジューリングのあとの30分が日記の時間です。それと中学時代の友人からも、しょっちゅう手紙が来ていたので、その返事も書いていました。

1977年8月。高校2年の夏休み、実家に帰って中学時代の友人とともに(中央)

———高校時代に影響を受けた本はありますか?

北杜夫とか加賀乙彦など、精神科医の本はよく読みました。大宰治や夏目漱石は、高校時代までに読まないとだめかもしれませんね。オトナになると馬鹿らしく感じるかもしれません。SFではなんといっても小松左京。そして東北出身の井上ひさし。井上ひさしに「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」という言葉があって、いまでも講演や論文を書く時に一番大切にしています。それに高校の先輩の宮沢賢治や石川啄木も好きでした。賢治の童話はほとんど全部読んでいると思います。子どもが小さい時には、寝る前に絵本で読み聞かせをしていました。

———お話をうかがっていると、文系も得意だったようですね。

文系の授業は好きでしたが、それほど得意ではありませんでした。ただし、地理だけは別です。受験勉強に疲れたら地理を勉強していました。私にとって地理の勉強は、観光ガイドブックを読んでいるようなものです。「いつかこの国へ行きたい」と思いながら、ノートの見開きの右側に授業の内容を記録し、左側には新聞の国際欄の記事を切り抜いて貼り付けていました。
高校3年の6月の日曜日のこと。勉強に疲れて昼寝しようとラジオをつけたら流れてきたのが高校地理の講座でした。。特集は「インドネシアの農業」。おもしろくて4~5回シリーズのその特集を毎回聞いていました。そうしたら東北大学の入試の社会の問題で「インドネシアの農業について知るところを記せ」という記述式の大問が出たのです。満点だった自信があります。今から思うと、私がラジオで高校地理の講座を聞いていた時期は、ちょうど大学の教授たちが入試問題をつくる時期だったのですね。きっと一緒に同じラジオ番組を聞いていたのだと思います(笑)。
余談ですが、新婚旅行はインドネシアのバリ島に行きました。大学に来てから、インドネシアからの留学生もずいぶん受け入れていますし、自分でも訪問していて、大好きな国のひとつです。

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