公益財団法人テルモ生命科学振興財団

中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

勉強そっちのけでテニスに打ち込んだ大学時代

———大学時代も生真面目に勉強ばかり?

それが、大学時代は京大医学部の硬式テニス部に入って、勉強そっちのけでテニス漬けの毎日だったんです。そうそうたる先輩たちが大勢いて、仲間と汗水流してテニスに打ち込んだ記憶は今も鮮明に残っています。テニスって、大坂なおみ選手を見てもおわかりいただけると思いますが、体力とか技術だけではなく、強靭なメンタルが要求されます。私はここで鍛えられて成長できたと思っています。

———医学の勉強のほうは?

授業には出ずにテニスばっかりしていて、テニスの試合でいかに勝つか、そのための新しい練習法を考えることが頭を占めていて、そろそろテストだから勉強もしなくちゃいけないということがときどき頭をよぎるくらい。
もちろん医師の国家試験には受からないといけないので、教科書を読んで勉強もしたけれど、それって暗記が主なんですよね。ですから「これは本当の勉強ではない」とずっと思っていました。本当の勉強というのはもっと自由な発想で、ひとつのことを突き詰めて考えることのはず。医学部の6年間は、とりあえず超えなければいけないハードルだから勉強するという感じでした。

卒業アルバムから。ポリクリ(病院実習)の仲間と

———麻酔科医になった理由は?

麻酔科というのは人体生理学なわけで、手術中、患者さんが眠っていて何もわからない間に、細心の注意を払っていかに患者さんの全身状態を良好に維持・管理するかというのが仕事です。患者さんは麻酔から覚めればもう私たち麻酔科医のことは覚えていない。だから本当の縁の下の力持ちなんですが、そこがなぜか自分の興味にフィットしたんですね。よりよい麻酔管理をするには体の仕組みについてしっかり勉強しないといけないし、患者さんが痛みを感じずに目覚めるのを見るとうれしい。とてもやりがいがありました。
そのうち臨床にいても何か研究をしなさいと言われて、いろいろデータを集めて自分なりの疑問を持って論文を書いたりするんですけど、やっぱりそれは私の好奇心に応えるようなこととは違う。それに、患者さんを動物実験のように対照群と治療群に分けて、この人には薬をあげるけれどこの人にはあげないというふうに比較することにも抵抗感を覚えました。もちろん新しい治療法を開発するためには重要なことですが、実際の人間が相手では実験には限界がある。それで、やはり子どものときから思い描いていたような、自分の疑問を最後まで突き詰めることができる基礎研究をやりたいと考えるようになって、そのためには大学院に行かなければと思いました。

———そのときはすでにお子さんがいらしたとか。

研修医1年が終わってから結婚して、子どもを2人産み、医者の仕事を続けながら子育てしていました。夫は1学年上の心臓外科医で、仕事が忙しくてほとんど家に帰って来ない状態です。当時は夫とともに福岡の病院に勤務していたのですが、病院に保育所はなくベビーシッターもいなかったので、子どもの面倒をみてくれる家政婦さんを探して、手伝ってもらいながらの子育てでした。

———大学院で所属したのは本庶佑先生の研究室ですね。

一つのテーマを突き詰めるような研究がしたくて、母校の京都大学で基礎研究をしているところを探したのですが、何しろテニス漬けの大学時代でしたから、京大にどんな先生がいて、何の研究をしているかもよくわからない。そこでテニス部のOBだった本庶先生の研究室にしようと。

———本庶先生の研究室は狭き門だと聞いています。準備もたいへんだったのでは?

大学院の試験は11月。実は2人目を産んだのがその年の8月末でしたから、もうたいへん。福岡から京都に引越しもしなければならないし…。ですが、何とか合格しました。

———先生が京大の大学院に進学するとなると、ご主人はどうされたのですか?

それは夫にすごく感謝していることなんですが、私が京都の大学院に行くと言うと、夫も「それなら自分も」と言ってくれたのです。彼も大学院に行きたいと思っていたらしく、いったん福岡から京都の病院に移ったあと、やはり母校の京都大学の大学院に入学しました。

大学院生時代、手術室で麻酔の導入中。「臨床の経験は基礎研究者にとって大きな財産です」

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