公益財団法人テルモ生命科学振興財団

中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

「おれは行かない」という夫を説き伏せて家族で留学

———1999年から留学されましたが、留学先はどのようにして決めたのですか?

その後研究を続けて、とうとうalyマウスの原因遺伝子を見つけることができ、論文になるとわかったときに、本庶先生に「留学したい」と申し出たのです。すると本庶先生は「よーし!」と言ってくれました。そのときのことは今でも鮮明に覚えています。先生は、私が中途半端なまま研究をやめて臨床に戻るのか、それとも本気で研究を続けていくつもりなのかを辛抱強く見守っていてくださったんですね。
「まあ、自分の行きたいところに手紙を書いてみい」とおっしゃるので、思いついたところに手紙を送りましたが、当然のことながら全然、返事が来ない。そうこうしている間に、本庶先生が海外の学会でハーバード大学のフレデリック・オルトという先生と会ったときに私を推薦してくださって「来てもいい」ということになって留学が決まりました。

———ご主人や家族は?

夫に、留学するから一緒に行かないかと相談したら、「絶対行かない」という返事でした。「留学なんて一生に一回のチャンス。私もあなたももう40の手前だから、今、行かなかったらもうチャンスはないよ」と言ってもウンと言わない。「それじゃ1人で行くから、子ども2人を置いていくのでよろしくね」と言ったら、「それは無理だ。じゃあ自分も行く」ということになって、一家で行ったんです。

———ご主人の留学先はどうしたんですか?

だから夫の留学先も探さなければいけなかったんだけど、彼は外科だし、ボストンに知り合いもいない。どうしたらいいかと、それも本庶先生に相談したら、「アメリカはな、そういうのは太っ腹だから」とおっしゃって、オルト先生に相談したらいいというので相談したら、「それなら2人で来なさい」と何カ所も紹介してくれて、結局、同じハーバード大学の中に行き先が決まりました。

———それはよかった。でも夫婦一緒で同じところに行けるなんて、ラッキーでしたね。

だから、「無理じゃないか」とか、「あとで帰るところがなくて困るから」などとくよくよ考えずに、当たって砕けろということも、ときには大切だなと思いましたね。それに、実際に留学してみて、外に出ることの重要性も実感しました。留学した先がハーバード大で、すごい人ばっかりでとてもかなわないのではないかと思っていたけれど、行ってみたらそうでもないということがよくわかった。それが大きかったですね。もちろん、すごい人はいるんですよ。トップの人はそれはすごい。でも一緒にいるポスドクたちは必ずしもそうではなくて、「この人たちとの競争だったら勝てるな」と思いました。

———留学先ではどんな研究を?

ボスのオルト先生から与えられたテーマは、本庶先生のメインの研究であるクラススイッチだったんです。クラススイッチというのは、病原体が体に侵入した際に、B細胞が作る抗体(免疫グロブリン)が抗原などの刺激によって遺伝子組み換えを起こして生物活性の異なる複数の異なる種類(クラス)の抗体へと変換していくことで、本庶先生はそのメカニズムの解明とクラススイッチを起こす遺伝子の発見に力を入れていたんです、でも私は本庶研にいたときはまったくクラススイッチの研究には携わっていなかったので、「私、クラススイッチはやっていません」とオルト先生に言ったら、「だからいい」と言われました。

———どういうことですか?

つまり、やってないということはバイアスがかかってないということ。ゼロの状態から、何も知らずに研究を始めた方がいいというわけなんですね。

———では本庶研と同じような研究を?

本庶先生はクラススイッチに重要なタンパクを探索していたわけですが、オルト先生のところでは、いわゆるゲノム上のどの配列がクラススイッチに重要かということを、ノックアウトマウスやノックインマウスをたくさん作って研究していました。私もその研究に取り組んで、それこそ、手が持ち上がらなくなるくらい実験しました。
留学して非常によかったのは、本庶先生とは異なるコンセプトを持ち、違うアプローチで研究しているフレデリック・オルトという大ボスに会えたことです。

———苦労も多かったのでは?

さまざまな面で鍛えられましたね、たとえばスクリーニングによって組み換えが起こったDNAを検出する方法としてサザンブロット法とPCR法というのがあって、サザンブロット法は感度があまりよくなくてしかも非常に手間がかかる。一方のPCR法というのは感度がよくそれほど手間がかからない。だから多くの人は楽なPCR法でやりたがるんです。ところがオルト先生はそれを認めなかった。PCR法は簡単だけど、感度がいいぶん間違った結果を出すことも多かった。面倒ではあるけれど信頼度が高いサザンブロット法でやれと言われました。ポスドクの力量を見極める意味もあったのかもしれませんが。
しかもオルト先生のラボでは共通の試薬というのはほとんどなく、全部自分で手作りする必要がありました。だから実験の補助をしてくれるテクニシャンにおまかせで実験をしていた人は、ここでは何も研究ができないわけです。幸い私は、留学前に本庶研のテクニシャンから実験手順や条件を記したプロトコルをもらって、全部、自分でできるようになってから行ったので、戸惑うことはありませんでした。私としてもブラックボックスを残したくなかったし、実験がうまくいかなかったときには材料までさかのぼって突き詰めないといけませんから、基本知識の有無は大きいのです。

———留学中の子育ては?

そりゃもう大変でしたよ。送り迎えは全部親がしなければならないし、小さい子を一人ぼっちにさせるのはアメリカでは虐待だとされるので、放課後のプログラムやベビーシッターなどのお金はかかるし。ただ2人とも研究者だったので、お互いの時間を都合して、私が無理なときは夫が代わりに送り迎えに行ってくれたので、だいぶ助かりました。
経済的にも厳しかったですね。2人ともポスドクの給料はもらっていましたが、安全なところに住もうと思うと家賃が高いし、生活はカツカツ。結局、3年半で帰ってきました。アポロ13号が地球に帰還したときと同じように、全部使い果たしてギリギリで帰ってきたという感じでした。

留学した最初の冬、雪がうれしくて、かまくらを作った

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