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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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第59回 私たちの体を守るオートファジーの研究で世界をリード 基礎研究から大きなイノベーションを! 大阪大学大学院 生命機能研究科 細胞内膜動態研究室/医学系研究科 遺伝学教室 栄誉教授 吉森 保

私たちの体を守り、命を支えている細胞内のリサイクルシステム、オートファジー。大隅良典博士がその仕組みを解明してノーベル生理学・医学賞に輝いたことでも知られている。大隅博士とともに研究に携わり、動物のオートファジーに関連する遺伝子の発見をはじめ、オートファジーの重要な機能を次々に明らかにしてきたのが吉森先生。研究者人生を振り返ると、偶然とラッキーの繰り返しだったという先生に、研究のおもしろさと若い読者へのメッセージをうかがった。

profile

吉森 保(よしもり・たもつ)
1958年大阪生まれ。都立竹早高校卒業。81年大阪大学理学部生物学科卒業。83年同大学院医学研究科医科学専攻修士課程修了。86年同博士課程中退。同年関西医科大学生理学第一講座助手(~96年)。93年ヨーロッパ分子生物学研究所(EMBL、ドイツ)博士研究員(~95年)。96年基礎生物学研究所助教授。2002年国立遺伝学研究所教授。06年大阪大学微生物病研究所教授。10年同大学院生命機能研究科・医学系研究科教授。14年同大学特別教授。17年同大学栄誉教授。18年同大学院生命機能研究科長。趣味はフルマラソン、トレイルランニング、色鉛筆でのスケッチ。

高校時代は哲学志望で文系

———ご出身は?

生まれたのは大阪ですが、父の転勤であちこち行きました。まるで記憶はないのですが、幼いころはアメリカに2年ほどいて、幼稚園は名古屋、小学校の2年から高校卒業までは東京で、大学で再び大阪に戻りました。

理論物理学者だった父の膝の上で

———どんなお子さんでしたか?

虫が大好きでした。昆虫採集もしましたが、それより、例えばアリの巣の前で何時間もずっとアリを見ているような、そんな子どもでしたね。 外で遊ぶのも好きで、友だちと缶蹴りをしたり、近くにあった戦前の陸軍兵器廠の廃墟にもぐり込んで秘密基地をつくったり。退屈なんて全然しなかった。それと本が好きでした。

運動会にて(右)

ソファで読書(いずれも小学校時代)

———どんな本ですか?

小さいころは図鑑。昆虫などの生き物や宇宙、歴史…、図鑑であれば手あたり次第です。ファーブル昆虫記やドリトル先生も好きだったし、少年少女文学全集なども読みました。それからぼくが子どものころは百科事典がはやっていて、20巻もある百科事典が応接間の本棚に置いてあったりしたものですが、あれを見るのが好きで、「あ」から順番にページを繰っていました。本の中にいろんな知識が詰まっているのがおもしろかったんですね。

———生物や科学への興味は小さいころからお持ちだったんですか?

自分では全然覚えてないんですが、小学校のときの卒業アルバムに「科学者になりたい」と書いていたんですよ。でも、中学・高校になるともっと楽しいことがたくさん出てきて、科学者になりたいなんてことはすっかり忘れていましたが。

———中学・高校時代に熱中したことは?

中学のときは友だちと遊び回っていて、補導されたこともあって、あまり素性のいい生徒じゃなかった。高校も、授業をさぼって喫茶店に入り浸ったり、パチンコしたり、マージャンしたり…。要するに不良ですね。先日、出身高校で講演会があってその話をしたら、聞いていた父母のみなさんはショックを受けたようでした(笑)。のどかな時代で、今ほど受験も厳しくなかったし、遊びまわっていたそのころの友だちとは今でも仲がいいんですよ。

———当時、熱中した本はありましたか。

小説のほかに、高校時代は哲学の本がおもしろくて、図書館に行っては学校の勉強はせずに哲学書を読んでいました。高校1、2年のころは、大学で哲学を専攻したいと思っていたほどです。もともとは文系で、国語とか、哲学が出てくるので倫理・社会が好きで、物理と数学はすごく苦手でした。父親が物理学者だったんですが、ぼくは全然だめでしたね。

———哲学というと、カントとかサルトルとか?

サルトルの方ですね。カントは読むことは読みましたけどちょっと苦手でした。当時は構造主義がはやっていて、サルトルやキルケゴールなどの実存主義から、構造主義のレヴィ=ストロースをよく読みました。それで哲学をやりたいと思っていたんですが、そのうち哲学の親戚のような感じで心理学にも興味がわいて、特にピアジェという発生的認識論という考えを提唱した発達心理学者が、実験をもとに「子どもは成長に伴って認知力が段階的に発達していく」と説いているのがおもしろかった。そのあと動物行動学に興味が移り、好きになったのがローレンツ*です。
動物行動学にはまっていくうちに、哲学科で書物を勉強するより、フィールドに出かけて観察するのもいいなと思い始めました。そのあたりでアリの巣を夢中になって観察していた幼いころのことがよみがえってきて、生物も自分は好きだったと、高3の土壇場になって進路を理系に変えたんです。生物学をやろうと思うようになったのもそのころからでしたね。

*コンラート・ローレンツ
オーストリアの動物行動学者、生まれた直後のガンの雛が、動いて声を出すものを親と思いついていくことを観察したことをきっかけに「刷り込み」を研究し、近代動物行動学を確立。1973年にノーベル賞医学生理学賞を受賞。著書に『ソロモンの指環 動物行動学入門』『人イヌにあう』『攻撃 悪の自然誌』など多数。

———ご両親からアドバイスはありましたか。

父はあまりあれこれ口を出さない人で、進路についてもほとんど何も言いませんでした。父自身は理論物理学者でしたが、ぼくが物理が苦手だと知っていたからか、一度だけ、「これからは生物学の時代だ」と言ったんです。ちょうど分子生物学の勃興期で、父の知り合いにも、物理学から分子生物学に研究を移した人がいたようです。ぼくのやりたかったのは動物行動学でしたから方向はだいぶ違っていたのですが、珍しくそういうことを言ったので今でも記憶に残っています。

———そこで、大阪大学の理学部に進んだわけですか。

そこがチャランポランだったぼくらしいところで、今となってはもう笑い話ですけど、動物行動学をやりたくて阪大の理学部生物学科を受けたのに、阪大には動物行動学の教室がないんです(笑)。今だったらインターネットで調べればすぐにわかるけれど、当時だって調べるすべはあったのに、何も調べずに受けたんですね。
動物行動学をやりたかったら京大に行くべきで、京大には日高敏隆先生とか今西錦司先生がいらしたし、今の総長の山極壽一先生もゴリラの専門家ですからね。なのに、何も考えずに阪大へ。それが人生の大きな転機でしたね。