公益財団法人テルモ生命科学振興財団

財団サイトへもどる

中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

サイト内検索

ワシントン大学の臨床研修での過酷な日々

———サマー・スチューデントを終えて帰国したときには、もう一度アメリカに行こうと決意されていたわけですね。

アメリカで臨床をするためには、医師の資格を得なければなりません。アメリカの医師免許試験であるUSMLEは学生のときから受けられるので、日本に戻ってすぐにその準備を始めました。医学部を卒業したあとは横須賀にある米海軍病院のインターンとなり、そこでアメリカ式のトレーニングを1年やって、そのあとアメリカのシアトルにあるワシントン大学に留学して内科と皮膚科の臨床研修を受けましたが、それはぼく自身にとって大きなチャレンジだったと思っています。

横須賀米軍基地にて。指導教官は医師であり軍人なので、軍服で診察する

———すると学生時代は勉強に明け暮れる毎日だった?

それがけっこう海外旅行も好きで、学生のときに30数カ国に行きました。いわゆるバックパッカーで、1人でインドとか東南アジア、イスラエル、アフリカとかへ行って、A型肝炎になったりマラリアに罹ったり、いろんなことを経験しながら世界を見て回って、すごく楽しかった。日本だと、あまり深く考えなくても常識の中で何でもできて居心地がいいけれど、外国に行くと自分の常識がまったく通じない。その点ではインドが一番刺激的で、おもしろかったですね。

学生時代、キリマンジャロに登頂。アフリカ大陸をほぼ縦断した

学生時代。アメリカ大陸をバイクで駆ける。この直後、スピード違反で捕まった

———シアトルのワシントン大学での臨床留学はいかがでしたか。先生のブログでは、ご自身のキャリア形成の上でもっとも重要な経験の一つで、人生で一番しんどかったと書かれていましたが。

そう、一番しんどかったです。まず、医学部を卒業する時点で、たぶん2年ぐらいアメリカのほうが進んでいるんですよ。というのはアメリカの医学部の学生は、先にちょっとお話ししたように、学生のときから患者さんを診ることを経験するし、当直も経験するんです。向こうの医学部は4年制ですが、入院患者を受け持って、全部自分で指示書きをするとか、そういう訓練をすでに3年生ぐらいのときからやっています。

———日本の大学の医学部は6年制で、卒業時に医師国家試験を受けて、晴れて医師になってまずは研修医として患者さんの診療に当たるわけですね。

そういう日本に比べて臨床能力において2年分ぐらい先に進んでいるところに、ぼくは大学卒業後に1年だけ横須賀でトレーニングしてから行ったわけですけど、1年分ぐらいいろんなことが遅れている感じがしましたね。

———アメリカと日本とでは医学教育のシステムも違いますね。

日本は高校を卒業して18歳で医学部に入りますが、基本的にアメリカでは一般の4年制大学を卒業してから医学部に入るので、医学部に入学する時点で早くても22歳ぐらい。大学を卒業して、2、3年ぐらい働いて入学資金を貯めてから医学部に入るという人も多く、そういう意味でアメリカではすでに医学部に入った時点で大人なんです。親に頼らずに医学部に入るために、自身で借金を抱えていたりしてモチベーションも高いし、成熟度がまるで違う。ワシントン大学の研修医1年目の平均年齢は30歳ぐらいですが、ぼくは25、6歳でしたから、いろいろな意味で最初は追いつくのが大変でしたね。

———言葉の壁は?

それもすごく大きくて、ワシントン大学の臨床研修では最初の1年間は主に内科を担当することになっているんですが、ER(救急外来)とかICU(集中治療室)も1カ月おきぐらいのローテーションで担当するんです。もう目の前で人が死ぬか生きるかという現場です。患者さんだけでなく、家族や看護師さんがバーッとまくしたてるわけです。

———ERだと毎日いろんな患者さんがやってきて、専門外だなんて言ってられませんね。

自殺未遂をした人なんかがやってくると、どうして自殺未遂をしたかという話を英語でバーッと話すんですよ。前の彼女がどうしたから自分はこうして、そのとき別のだれだれがこう言ったとか、矢継ぎ早に英語で言われてもフォローできないので、看護師さんにそばについてもらって、一応、自分なりに理解してカルテに書いて、それを看護師さんにもう1回チェックしてもらったりしていました。宗教や文化の違いもありますしね。言葉を知らないことと臨床力のなさを痛感する毎日でした。最初の半年ぐらいは日本語をまったくしゃべることもなく、そのうち夢も英語で見るようになって、ようやく何とかやっていけるなという感じがしてきました。

———研修だと先生からの指導もあるんですか?

チーム制でやるので、指導してくれる先生による評価だけでなく、医学部の学生同士でも毎月のローテーションごとに細かい項目をお互い評価し合うんです。いろんな意味で厳しいところだなと思いました。

———ほかにワシントン大学の臨床研修で実感されたことは?

日米の医療カルチャーの違いですね。アメリカは訴訟がすごく多いので、訴訟に負けないよう防御しないといけない医療なんですよね。日本だと患者さんにお薬の処方をすれば、多くは「はい」と言って飲んでくれるけど、向こうの患者さんは「なぜその薬を出すのか」「その薬の副作用は何なのか」とかしつこく聞いてくる。
こうしたさまざまなカルチャーショックとハードな日々を乗り越えたおかげで、どこへ行っても何とか生きていけるなという自信めいたものを持てるようになりました。

ワシントン大学のレジデント(研修医)時代。大きなウェストポーチにワシントンマニュアル*などドラえもんのポケットのように何でも詰め込んでいた
*ワシントンマニュアル:ワシントン大学の内科レジデントたちにより1943年に執筆されて以来、世界の臨床家や研修医たちのバイブルとなっている医学書