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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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国家試験の過去問で見た免疫の問題が人生を変えた

———研究者になろうと思ったきっかけは?

大学時代は研究者で生きていこうとはまったく思っていなかったんです。でも、大学院には行こうと思いました。そのきっかけを与えてくれたのが、5年生の冬、国家試験の過去問に取り組んでいたときに出合った免疫の問題です。その問題を見て免疫に興味がわいて、免疫学を学びたいと思ったんです。それで人生が変わりましたね。
もう一つは、私の性格なんでしょうけど、みんなと一緒のことをやるのが大嫌いなんですよ。同級生が128人いて、その全員が歯医者になるのかと思ったらおおイヤだと思ったし、臨床医になって一生同じことをやり続けるのは耐えられないとも思いました。でも、その時点では研究者という生き方があるとは思ってなかったので、結局は歯医者になるしかないけれど、とりあえずは大学院で基礎研究をやってみようと…。ある意味、つまらない社会生活の始まりを先延ばししようというピーターパン症候群みたいな話ですね。

———試験問題で免疫に興味を持ったということですが、どんな問題だったんですか?

T細胞とかマクロファージとか免疫細胞が左側に、右側に貪食とかヒスタミン産生とか免疫細胞の役割が書いてあって、正しい組み合わせを選べ、という問題でした。
私たちの体自体は一つの個体であっても、体を構成している細胞はいろいろあって、その中で免疫細胞がそれぞれの役割をきちんと果たしているから、私たちは病気にならずに元気でいられる。でも、一個でも何か暴走したり、機能を果たさなくなったりすると病気になってしまう。それってすごいなーと思ったんです。免疫細胞にはがんばり屋さんの細胞もいれば、意地悪な細胞もいて、食べてばっかりいるのもいる。まるで人間社会みたいだな、楽しそうだなと思いました。

———大学院はどこへ?

将来は歯医者になるつもりでいましたから、それなら口腔も含む粘膜免疫について研究すれば歯医者になっても役立つだろうということで決めたのが慶應義塾大学医学研究科の粘膜免疫の研究室です。研究はすごくおもしろくて、その研究室に2年間いましたが、あの2年間ほどいろんなことを学んだ2年間はないと思うほどでした。それこそ小中高大のときと違って、心から学びたいという意欲を持ってやっているので、知識がどんどん入ってきて、もう学ぶことが楽しくて楽しくて仕方がない毎日でした。

———高校のころや一浪したころとは大違い。どこが違ったのでしょう?

何より、ようやく好きなことを見つけたということですね。勉強と学問の違いに気づいたといってもいいかもしれません。今、研究をやっていて学生にもよく言うんです。勉強と学問は違うんだよと。
私は学問向きで、いまだに勉強は嫌い。勉強というのは教科書に書いてあることを理解する作業、つまりはだれかがすでに見つけたことを学ぶことですが、学問は答えが分からないことに答えを見つけていくもの、まだ教科書に書かれていない新しい真理を見つけて証明する知的な挑戦です。だから毎日、答えを見つけようとしている。それが研究だと思うんですよね。

———それを大学院に入って見つけた?

そう、これだって!
ラボの教授はとてもよくしてくださって、大学院に入ってから1週間ぐらいで研究のおもしろさの虜になり、「私はこの道で生きていくんだ」と思うようになりました。ただ、1年、2年と経つうちに、ラボのメンバーが辞めていき、自分より上の人が次々にいなくなって、教授の次が私という状況になってしまったんです。このラボでずっと研究を続ける意味があるのかと考えるようになり、結局はそのラボを2年で辞めてしまいました。
その先生は「これをやりなさい、あれをやりなさい」と指令を出すタイプで、先生が考えていることをやるだけの研究ではなく、自分が持っている疑問を追究しなければ将来研究者として生きていけないのではないかと考えたことも、辞めた理由の一つです。

———研究室を辞めてどうしたんですか?

荷物をまとめて実家に戻りました。研究をやめるつもりはなかったんですが、親のサポートを受けていったん歯医者をやってお金を稼ぎ、もう一回大学院に行き直そうと考えたんです。

大学院時代の仲間たち。悩んでも、へこたれても、だれかが助けてくれたので幸せだった(右から3人目)

———その後、同じ慶應義塾大学医学部で微生物学・免疫学教室を主宰されていた小安重夫教授の研究室に入られますね。その経緯は?

ある先生が、わざわざ実家まで電話をかけてきてくれて、「あなたは研究を続けるべきだ。移籍の道を探せ」と、とうとうと諭してくださったんです。たまたま当時、学生からの相談に乗る担当をしてらっしゃったのが小安先生だったので、小安先生と面談することになりました。お会いしたらとても真面目にやさしく相談に乗ってくださって、先生が天使のように思えてきて(笑)、「私が教えを請うべき人はこの人だ」、と思っちゃったわけです。

2005年から今に至るまでずっとお世話になりっぱなしの小安重夫先生と。ダボス(スイス)にて。

———それで?

お会いした日の帰りに、「先生のラボで学ばせてもらえませんか?」とお願いしました。でも、「それは無理」と言下に断られました。

———研究室を飛び出した院生ですからね。

それでもあきらめず、「そこをどうにか」と何度もお願いしたところ、1カ月ぐらい経って、「実験台もデスクも用意できないけれど、それでいいなら来てもいい」と移籍の許可が出ました。もう、うれしくて、「廊下でも何でもいいです。置いてください!」なんてことを言って移籍して、あとでちゃんとデスクも実験台ももらいましたけど(笑)。