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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

大学受験は2度失敗。「やりたいこと」に出会い、研究で開花するまでの波乱万丈 大阪大学大学院医学系研究科 生体防御学教室 教授 茂呂和世

大学院生のときに世界に先駆けて新しい免疫細胞である「ILC2」を発見。自然免疫系の細胞として、アレルギーをはじめさまざまな病態と深く関係していることを明らかにしている茂呂先生。しかし、高校時代は勉強もしないで遊んでばかりの毎日で、大学受験も2度失敗。そんな“劣等生”だった先生が、世界から注目される研究者となった道のりは? ILC2研究のおもしろさとは?

profile

茂呂 和世(もろ・かずよ)
2003年日本大学歯学部歯学科卒業。07年慶應義塾大学医学研究科博士課程単位取得満期退学。08年同大学医学研究科特任研究助教。10年医学博士。11年科学技術振興機構さきがけ研究員。12年理化学研究所RCAI/IMS免疫細胞システム研究グループ上級研究員。15年理化学研究所IMS自然免疫システム研究チーム・チームリーダー(19年まで本務、現兼任)を経て、現職。「新規免疫細胞の発見と機能解明」で2017年日本学術振興会賞・日本学士院学術奨励賞を受賞。

高校時代は帰宅しない帰宅部

———小さいころはどんなお子さんでしたか?

これが、親が見た私と、私の考えている私とのギャップがすごくて、どちらが正しいか分からない(笑)。私自身は活発で明るい女の子だったと思っているんです。でも、母に言わせるとちょっと変わった子で、みんなと同じことができずに先生によく怒られる子だったそうです。母も学校の先生に、「どうして和世さんはみんなと協調していろんなことができないんですか」というようなことを言われたりしたらしい。

———意外ですが、協調できないというと…?

たとえば授業中、先生が子どもたちに何かを質問しようとすると、逆に先生に質問を投げかけたり、いったいなぜこの問題をやらなければいけないのかと聞いたりするから、授業の妨げになるとか…。今も意見をはっきり言いすぎて、問題になることがよくありますよ。私からみると、どうしてみんなで同じことをしなきゃいけないのか本当に分からないのですが…。

———子どものころから率直に疑問をぶつけるタイプだったんですね。

だからけっこう面倒くさい子どもだったようです。
姉と兄がいて、2人はすんなり優秀に育っていったんですけど、私はどうも…(笑)。
父の留学で小さいころアメリカで育ちました。アメリカでは個々の意見として尊重されることが、日本では和を乱す暴言のように扱われることがあると思います。あれ?でも上の二人もアメリカで育ったから、末っ子のわがままってだけですかね?

今見ると、ちょっと不思議な写真。日本人がいない幼稚園だったので英語で話していたはずですが、帰国後ほぼ英語は忘れ発音だけが残りました。(2列右から2人目)

まだ荷物の空輸が破格に高い時代、クリスマスに日本から届く和のお菓子は格別でした(左から2人目)

———熱中した遊びは?

うちは、今は珍しいかもしれませんが、オモチャをあまり買い与えない家でした。ゲーム機とかリカちゃん人形などで遊べない代わりに、庭で虫を探し回ったり、近所の子供たちと原っぱで遊んだり、庭を掘って基地を作ったり、火を起こして何かを燃やしたりしていました。塾にも行ったことがなく、暗くなる前までに帰ってくればいいという家だったので、夕飯の時間まで目いっぱい外で友だちと遊びまくるという毎日でしたね。

実家は庭が広く、自然の素晴らしさを満喫するためのすべてが揃っていた。泥だらけでご満悦。

———オモチャを買ってもらえなかったというのは親御さんの方針だったんですか?

方針というほどではなかったと思うんですよ。父親が大学の先生をしていましたが、そのわりにはそれほど教育熱心じゃなかった。きょうだいが3人もいると、「勉強をしろ」とも言わないし、遊び道具まで面倒をみるわけではなく、「子供3人で適当に遊んでなさい」という感じですかね。でも、オモチャは買ってくれないけれど本はいくらでも買ってくれました。

———どんな本が好きでしたか?

クリスマスにはよく20巻ぐらいの全巻セットの本をプレゼントされた記憶があります。一番好きだったのはドリトル先生のシリーズ。ほかにも、アンデルセンの挿絵つきのシリーズとか、ルパン全集とかシャーロック・ホームズ全集とか、いろいろですね。

———文学少女でもあったんですね。

高学年になると親の本を読むようになりました。親も本が好きだったので本棚にいろいろな本が並んでいて、司馬遼太郎とか山本周五郎、井上靖なんかの歴史もの、時代もの、人情ものが好きになりました。

———理科とか数学はどうでしたか?

それが苦手だったんですよ。今は医学部にいて、医学部って理系ぽいじゃないですか。だからみなさんに、小さいころから理系だったんだろうと思われるんだけれど、今も昔も完全に文系脳ですね。得意だったし好きだったのは国語と社会。社会の中でも歴史が好きでした。数学は、いまだに苦手です(笑)。

———それでもいわゆる理系方面に進むわけですよね?

歯学部に進学することになるのですが、それは好きだからというよりも、うちは医療関係の家系で、大学の医学部か歯学部に行くのが当たり前な感じだったからなんです。正直に言うと、高校生時代は進路についてはまったく何も考えていませんでしたね。地元(栃木県鹿沼市)のいちおう進学校と呼ばれる高校に入学しましたが、高校生活がもう楽しくて、青春を謳歌していました。まわりの人たちは楽しみながらもちゃんと勉強をしていたんでしょうけど、私は勉強のところを忘れて、楽しむことばかり(笑)。

青春を謳歌していた高校時代(左から2人目)

放課後に行っていた喫茶店では麻雀、漫画、おしゃべり三昧。勉強は進まず(左から4人目)

———部活で忙しかったとか?

バイオリンが弾けたので最初はオーケストラ部に入ったんですが、すぐに辞めてしまい、放課後もダラダラとだれかと遊んでいるという、ホントにダメ高校生の見本のようでした。だから帰宅もしない帰宅部、というより寄り道部。高校の応援団があるんですけど、そこの男の子がかっこよかったので、応援団のマネジャー的なことをやっていました。

———マネジャー的なことって…?

応援団の練習場が屋上で、そこで応援の練習をするというか、遊んでるという感じでしたね(笑)。あとは帰りがけに河原で遊んだり。学校もおおらかで、「まったく茂呂は仕方ないな」と微笑んで見てくださるような先生たちだったんですよね。

———屋上にいて何がおもしろかったんですか?

くだらないことばかりです。応援団で使う大太鼓の布ケースの中に2人で入ってチャックをしめて屋上の端から端まででんぐり返しをしながら進む、なんてことを爆笑しながらやってましたね。要するに、やりたいことが分からなかったんですよ。大学院で研究というものに出会ってそれにのめり込むようになって、その前の大学時代は空手にのめり込んだんですけど、そういうのめり込めるものに出会うまでは、ただなんとなくやってきた。
地元の進学校に行ったのだって、何となく将来は大学を出て歯医者になるというのが自分の人生なんだろうなっていうふうに思って流されていただけで、そこに自分の意思はなかったんだと思います。

———高校の先生からアドバイスはありましたか?

こんなことがありました。化学の先生がある日、化学準備室に私を呼んで、「何だか毎日楽しそうだな」というので「いやー、楽しいですよー」って答えたら、先生から「勉強もしないで毎日フラフラしてたら楽しいだろうな。でも、お前は、本当は分かってるんだよな」って言われました。これって、けっこう私の中で人生を考えさせられた言葉で、たぶんその先生は、私はやればできる子だよということを暗に言ってくれたんじゃないかと思いました。逆に言えば、やらなければできるようにならないということでもあって、できるようになるには努力が必要だということ。この言葉は、大学院に進んで初めてやりたいことと出会ったときに私を支えてくれましたが、高校のときはまだこの言葉の意味を理解していなかった気がします。

「本当は分かってるんだよな」と言ってくださった早乙女良一先生に、25年ぶりに再会し、ようやくお礼を言うことができた(2018年11月)