生命科学DOKIDOKI研究室
15周年記念特別対談
03 答えがない問題にチャレンジする勇気
スタートアップはチャンス!
――いま日本の一人当たりGDP(国民総所得)は低迷が続いておりG7で最下位、研究力を測る論文数などの指標も失速しており、日本の研究力や競争力の低下が叫ばれています。お二人はそんな状況をどうご覧になっていますか?
高橋
日本がいま経済的に負けているというのは、リスクを取らないからです。『イノベーションはなぜ途絶えたか-科学立国日本の危機』という本を読んですごくよくわかったのは、当時はアメリカも日本もイノベーションが途絶えているという同じ課題に直面していてスタートアップ(新規事業を立ち上げる企業や個人)にお金を出したんですけど、アメリカは数学とか物理の基礎分野にすごくお金を出したんです。一方日本は、中小企業を維持するためにそのお金を使っちゃったんですって。だから日本の場合、危機の認識は正しくても資金の運用で曲がるんですよ。
ようやく2022年11月に内閣府が「スタートアップ育成5か年計画」を打ち出しました。今回は、本気でスタートアップを押しているようには見えますけど、どうでしょうね。ユーグレナ社長の出雲充(いずも・みつる)さんは、若い人から「どこに就職したらいいか、何の仕事がいいか」と聞かれたとき、「スタートアップ一択」と答えているそうです。なぜなら、政府が今までの50倍のお金をスタートアップにつけると、しかもアカデミア(大学や国の研究機関)発のみと閣議決定をした。50倍成長することが確約されている産業なんか無いから、何でもいいからスタートアップって(笑)。それも乱暴な話ですけどね。
大和
高橋先生も多くの若者を育てたと思うけど、ぼくもそれなりにキャリアが長いので、いっぱい若い者を育ててきたわけ。30歳ぐらいからPI(研究室主宰者)になるまでの時代をぼくとすごしているので、彼らの将来を気にせざるをえないじゃないですか。プロフェッサー(教授)というのは長屋のご隠居みたいなもので、店子が何か困ったときに相談を受けたり、ひまなときにおしゃべりしたりするのも仕事なんですね。で、休み時間に「お前たち、将来どうしたいの?」って聞いたら、そのうち一人が「先生、ぼくはエジソンみたいになりたい」と言ったんですよ。どう思います?
高橋
それは実現が難しい…
大和
彼は家が小さい会社をやっていたから、「会社を継げばいいじゃん。で、会社の隅っこにキッチンでもあったら潰して、自分の思いつきを実証できる程度のミニマムな研究スペースを用意して、実施例を作れ。いつもアイデアだけ出してばかりじゃないか。特許を取るには、実施例が必須なんだよ!」と説教したんです。彼は結局、会社を継がずに、とある大学の期限付きのポストにいますけど。ホントにいま、PIになれない。PIどころかパーマネントのポジションもなかなかゲットできないんですよね。
高橋
研究者がアカデミアに固執するのはわかるけど、もうちょっと違う世界に行くと、自分の価値が生きるときがあります。医学部の人にも言うんですけど、眼科の中では普通の眼科医だけど、一歩外に出たら眼のことを知っている人はほとんどいない。ですから違うところで能力を発揮することを考えることも大事だと思います。大学にポストがないってことはスタートアップをめざすチャンスでもあるんです。
成功する姿を見せて元気に
高橋
結局、いまの日本は若い人たちに夢を見せることができていないんですね。
大和
高橋政代物語とか、どうかな(笑)。先生の子供のころから、地を這うような努力まで全部を、半年間とか1年間の朝ドラとして描いてくれたら、「私もがんばろう、憧れちゃう」っていう女の子たちが出てくるかもしれないじゃない?
高橋
朝ドラはともかくとして、たしかに成功して見せなくちゃダメなんです。いま言われているのは、日本の再生医療は臨床までは到達し、それは成功した。だけど産業として、事業として成功する姿を見せないといけない。ユニコーン*1を出さなくちゃいけない、と。
*1 ユニコーン:創業10年以内で企業価値が10億ドル以上の未上場のスタートアップ系ベンチャー企業のこと。ギリシャ神話に登場する一角獣からついたもので、投資家に莫大な利益をもたらす可能性を秘めた極めてまれな存在を指す。
大和
スイスのノバルティス(Novartis)社みたいなメガ・ファーマ(大規模な製薬会社)に買ってもらうって手もありますよね。
高橋
いまその狭間なんですよ。海外は再生医療になれていなくて、ある程度効果まで見せないと大きな会社も来ないので。
大和
20年ぐらい前の第1次安倍内閣時代に、日本もバイオ・ベンチャーをつくれって旗を振ってたでしょ。そのころはつくってるほうも政府もわかってないから、IPO(新規株式公開)が出口だと考えてたんだよね。だけど、IPOじゃなくてM&A(合併や買収)でいいんですよ。
高橋
確かにいまバイオのスタートアップは「百均」って言われてしまっていて、IPOにたどり着いても横並びに100億円にしかならないということで。IPOだけがゴールじゃない。
大和
ああ、百円均一じゃなくて、100億円均一ってことね。
高橋
アメリカでも医療分野で大きな会社が買うのは、ディープテック*2とかアカデミア発のそういう先端領域のスタートアップのネタ。そのためにも基礎研究と特許が重要ですね。
*2 ディープテック(Deep Tech):。科学的な発見や革新的な技術に基づいて、世界に大きな影響を与える問題解決のためのイノベーション。人工知能、ロボット、自動運転、量子コンピューティング、宇宙開発、VR(仮想現実)、AR(拡張現実)、ゲノム編集、合成生物学など。
大和
いま、あちこちで大学発のスタートアップがあります。東大でも早稲田でも学内につくっちゃうんですよ、お金持ってるから。で、「やれやれ」と教授や院生たちをそそのかすわけ。でも、そそのかすのはいいけど、どれくらい手伝ってくれるのかというと、意外と手伝ってくれないんだよね。最初の微々たるお金は出してくれるんだけど、そこからが長いわけじゃないですか。
高橋
本気でやらないとダメで、片手間にはできないですよね。それをサポートするビジネスパーソンが少なすぎますね。私たちの場合、神戸アイセンターを作ったときにビジネスの世界と接点を持つことになって、そこでいろいろ学びました。その中で、いいビジネスチームの人と関わりあえたことが大きかったですね。
大和
アメリカに感染症治療の抗ウイルス剤を開発しているギリアド・サイエンシズ(Gilead Sciences)社というすごい会社があるんです。もともとは、医師でハーバード・ビジネススクールを出たマイケル・リオーダン(Michael L. Riordan)氏がメンロ・ベンチャーズ社という自分が勤めている投資会社の研究プロジェクトとして設立したのが始まり。優秀な科学顧問を採用したりしたけど、投資家のウォーレン・バフェット(Warren E. Buffett)氏に取締役になるのを断られたりして、10年ぐらいはとても苦労したのね。この会社の発展にものすごく貢献したといわれているのが、のちに国防長官になるラムズフェルド(Donald H. Rumsfeld)氏です。彼は若いころから政治家をやっていて、ホワイトハウスでも上院議員でもみんなお友だちで、製薬企業とかのオーソリティ(権力者)にもプレッシャーをかけられるすごい人。彼が入ったことで大成功した。日本にはそういう人ってなかなかいないよね。
高橋
アメリカのエコシステム*3というのは結局、そういう経験をした人が回しているから、いい回転になっているんですよね、日本はそんな経験者がまだほとんどいないということですね。
*3 エコシステム:もともとは生態系を意味する言葉だが、1990年代初めアメリカ西海岸のシリコンバレーで、スタートアップのベンチャー企業の成否を説明する概念として登場。ベンチャーキャピタルやビジネス関連企業などが連携し、資金、人材、インフラ、政策が有機的に連動し、ベンチャー企業を成功に導く関係を指す。現在は、広く産業界で新しいシステムやイノベーションの導入、新規ビジネス、オープンプラットフォームの研究体制の構築などの成功をめざすビジネス用語として使われるようになった。
夢を実現するために、課題をどう乗り越えるかを考えつく
大和
先生は中高校時代、どちらかというとお利口さんタイプだったんですよね?
高橋
そうです、はい、優等生でした(笑)。
大和
それがどうしてこんな大胆な…
高橋
同級生にも言われますよ。あのころは自分の意見を持ってなくて、他人の意見に合わせてるばっかりだったのに、なぜこんなに変わっちゃったの?って。
大和
子供時代はどんな感じでしたか。
高橋
小学校は本当におとなしい、家から出ないほどだったんです(笑)。中学高校は大阪教育大学池田地区附属学校で、制服もなく自由な雰囲気でしたね。やっぱり締めつけてルールを当てはめるのが一番いけない。何かやるときに「ルールだから」という人、私一番怒るんですよ。必要なルールなのか、変えられないものかと考えるのが大事。いまや「ルールは守るものじゃなくて、この時代、ルールは変えるもんだー!」っていつも叫んでますけど。中高でルールでがんじがらめにされちゃうともう抜け出せなくなりますよね。
でもあのころは別に夢や大きな目標があったわけじゃなくて、医者になったのも母親から「食いっぱぐれがない」と勧められたからで、眼科を選んだのは、結婚して子育てしながらも働きやすそうだったから。35歳でやりたいことに出会ってから、大きく変わったんです。
大和
ソーク研究所への留学が大きかった、と。
高橋
夢は強く願う方がよくって、それは、やりたいと思ったら、何が何でもやりぬこうと手段を考えつくからなんですよ。私は全部手段としてやっています。京都大学から理研に移ったのも手段です。ES細胞から網膜の細胞をつくりたいのに誰もやってくれないから、自分でやるしかないと、基礎研究にも取り組みました。もっともiPSの研究者って言われていたときはちょっと居心地が悪かった。私は研究者じゃないから。プロジェクトリーダーという職位が一番しっくりきましたね。いま会社をやっているのも手段であって、会社が目的じゃない。
課題が出てくるたびに、それをどう乗り越えるかを常に考え続けて、そうすると課題がだんだん大きくなって、いま公的保険をどうするかというふうに次第にことが大きくなってくるんですけど、それがまた楽しいんです。
理研に移ったのも、
会社を興したのも
すべて「手段」です。

大和
先生の背中を見て、スタートアップを作る若手のドクターとかスチューデントが出てきたらいいですね。
親が制限したことが産業に
大和
子供時代、自由が大事ということでは、いまの若い人はどうかな。
高橋
両極端ですね、変わるのが怖いと閉じこもっている若者と、もう、高校や大学から海外に出て自分の生き方を探している若者に分かれている感じがします。
大和
いまの子供にちょっと期待していいかなと思えるこんな例があります。小学校とかで政府のお金で一人一台タブレットを配るようにしたんですね。みんなに持たせるんだけど、先生の立場からすると、勉強にしか使えないようにしたいわけ。だからどこかのソフトハウスと組んで、授業が終わる午後2時とか3時になるとOSレベルでシャットダウンするように設定するんですよ。でも子供たちはそのあとにYouTubeとか見たかったり、何か遊びたいわけ。子供たち、どうしたと思います? OSレベルで設定されてるから絶対解除できないんだけど、頭のいい子供ってどこにでもいて、簡単に気づくんですよ。時計を変えちゃえばいいじゃん、って。
高橋
すごーい(笑)
大和
午後3時にシャットダウンするんだったら、3時になってもまだ12時って時間を変えちゃう。こういう子供がいるところは、まだ日本も捨てたもんじゃないと思ってます。
高橋
ある人がネットに「孫が英語を喋る。両親も日本人だし、まわりは全員日本語なのになぜ? と思ったら、YouTubeで英語の番組をずーっと見ていた」って書いてたんですけど、そういうのを規制しちゃだめですね。
大和
たしかに、TED*4なんて、それこそMIT(マサチューセッツ工科大学)とかハーバード大学の先生がしゃべってくれるわけですよ、何回も繰り返して見られるし。
*4 TED:Technology Entertainment Design。世界中の著名人によるさまざまな講演会を開催・配信している非営利団体。さまざまなスピーチや、アイデアのプレゼンテーション、研究発表にふれることができる。
TED webサイト:https://www.ted.com/
カテゴリー別のスピーチを探すには:https://www.ted.com/talks
高橋
昔から日本は、親が制限したことがいま産業になってますよね。マンガであり、ゲームであり。親がダメっていうことはやったほうがいいかもしれない(笑)。
いろいろな経験が生きてくる
高橋
若い人へのメッセージとしては、たくさんの経験をして、いろんなことを知ってほしいと思います。無駄だと思えることにもけっこう意味がありますから。
たとえば、病院にいたときは、それこそ雑巾がけのような雑用もやったし、病棟管理者として手術の予定を調整するとか、「こんなの役に立つのかな」って仕事もいっぱいしましたけど、病院の裏も表も知っててつまらない仕事もいっぱいやったから、いま、病院のことも企業のこともよくわかります。あのころは「なんでこんな仕事をしなくちゃいけないのか」と思ってたけれど。
大和
博覧強記という言葉があるじゃない。ああいうのはいいですよね、引き出しがいっぱいあって。だからインターンシップとか、チャンスあったらどんどん行くといいと思います。
高橋
私、大学で後悔してるのは、家庭教師のバイトしかしなかったってこと。もっといろんなことをやって、社会を知っておいたらよかったな。
大和
ぼくもさんざんやりました。家庭教師と塾の先生と予備校の先生、どれも同じようなものですけど。それと角川書店でバイトをしていて、角川文庫のカバーについてる宣伝文句が書いてある帯、袴とか腰巻とも呼ぶんですけど、あのコピーを何百冊か書きました。最初は本文をきちんと読んで書いてたんだけど、手を抜いたほうが編集者とか著者の受けがいいのがわかって、そのうち3ページぐらいしか読まずに量産してました(笑)。そういうバイトとか、翻訳もやったし、出版社関係のバイトはずいぶんやりましたよ。でも、先生がおっしゃったのは、もっと広い世界を見ておけってことですよね。
高橋
お店のアルバイトとかもっとやったらよかった。そうすると社会の仕組みがもっと早くわかっただろうなと思うんです。早いうちに、できるときに、いろいろな経験をしておくといい。
将来の道が決まっていなくても焦る必要はない
大和
いまの若い人たちって、学校でも早いうちから「将来何になるかを考えて・・・」と指導されて、高校3年でどんな学部をめざすか決まっていないと不安に思う人もいると思うんだけど、どんどん迷ったらいいと思うんですよ。
高橋
迷うというのはいいことで、医学部に行っても別に医者にならないといけないわけじゃない。最近じゃ、東大の医学部の3分の1は、企業かコンサルに行くことを考える。医者にならない人も結構いるそうですよ。私は10年は医者をやるほうが良いとおもいますが。でも、どっちに行っていいかわからないというとき、私は変化する方を選ぶことにしています。そのほうがおもしろいじゃないですか。
大和
東大だと、理科Ⅰ~Ⅲ類、文科Ⅰ~Ⅲ類のいずれかで受験して入学して、2年次の秋の進学振り分けで専門を選びます。理科Ⅰ類からⅢ類に移った人もいるので、決めるのが後送りできるんだったら、後送りできるようなところに行くのはありだと思う。もちろん、あとになって勉強したっていいんです。
先ほど言ったように、ぼくは理学では就職口が見つからず、最初は薬学部に勤めたんです。薬学のことは全然知らなかったから、学生と一緒に勉強して、薬剤師の免許こそ持っていないけど、あのころなら試験を受ければ通るぐらいの勉強はしました。東京女子医大に移ってからは医学の勉強をしました。阪大の西田幸二(にしだ・こうじ)先生と角膜の細胞シートの臨床研究*5をしていたときは、眼の構造や病気から現行の治療法まで、西田先生に徹底的に教えてもらいました。尿路再生のときは、最初の3ヵ月は研究に来た大学院生に、泌尿器について習うんです。「そもそも腎臓と膀胱は何でつながっているんでしたっけ」から話がはじまるわけ。正解は尿管。膀胱から先は尿道、それぐらい知らなかった。そんなふうにいろいろな部位についてゼロから勉強して、もちろん専門じゃないけれど、いまでは医学部の6年生ぐらいの知識はあります。再生医療って境界領域の新しい学問だから、DNAも細胞も材料のこともわかっていて、外科や手術のこともほぼわかるというマルチな知識がいるんですね。
*5 西田幸二先生の角膜の再生医療については以下の記事を参照ください。
フクロウ博士の森の教室1 生命科学の基本と再生医療
第13回 角膜の再生~角膜上皮を中心として
アニメーション:https://www.terumozaidan.or.jp/labo/class/13/slideshow.html
西田幸二先生インタビュー:https://www.terumozaidan.or.jp/labo/class/13/interview01.html
再生医療は境界領域の新しい学問。
DNAや細胞、材料、手術まで
マルチな知識が必要。

高橋
基礎も臨床もわかるわけですね。
大和
日本の教育では理学部で分子生物学をする人は半導体の勉強はしないけど、スタンフォード大学やMITなどは、半導体のほうに進む人にも、分子生物学を教えているんですよね。そうすると両方のことがわかるから、DNAチップ*6のような新しいものができてくるんです。
*6 DNAチップ:細胞内の遺伝子発現量の変化を測定するために、多数のDNA断片をプラスチックやガラスの基板上に高密度に配置した分析器具。数万から数十万の遺伝子発現を一度に調べることができる。DNAマイクロアレイとも呼ばれる。
高橋
違う領域にも足を踏みいれて視野を広げると自然と視座が上がるんですね。自然と高く登って全体を見渡せるようになる。私の場合、医者をやって研究もやることで、治療の限界や臨床の進め方がわかったんですけど、今回、ビジネスまで視野を広げたら、医療の見え方が全然違いました。
先ほど言ったアルバイトも一緒で、違う部分というのをしっかり見ておく。やっぱり情報量なんですよ、勝負は。これまでも我々のプロジェクトへのバッシングはいろいろあって、「できない」とか「無理」という人がいっぱいいたけれど、そういう人たちって単に自分の領域以外の情報量が足りないだけなんですね。私のほうが情報量で絶対に勝っていると思うから気にならない。
ルールは変えるものだと言いましたが、自分の進む道だって変えたっていい、最後がバッチリ思い通りになっていれば。それを「行き当たりバッチリ」って言ってます。私の標語の一つですね(笑)。実はそれをバックキャストであったり、アジャイル型というらしい。
だから高校時代や大学時代で将来の道が決まっている必要はないし、むしろ早く決め過ぎじゃないか、それこそ情報量が少ないまま決め込んでいるのではないかと思うので、授業でも「焦って決める必要はない」と言っています。ただ、そのうち、たまたま何かにぶつかったとき「これだな」と思うものが出てくるまでの準備は必要だと思います。それが来たときにパッとつかめるように、well‐prepared(ウェル・プリペアド)であれってことですね。
キーワードはUNEXPEXTED
大和
よく学生さんがぼくのところにきて、「研究がうまくいかない」ってこぼすんです。でも修士1年ぐらいの研究の素人が思ったとおりになるぐらいつまらない研究はないじゃないですか。ぼくのラボのキーワードは「UNEXPEXTED(アンエクスペクテッド)」。予想もしなかったような結果が出たときは、もしかしたら発見につながっている可能性がある。もちろん、再現性は必要で、何回やっても同じ、予想もしない結果が出てるんだったらそれを探究した方がいい。そうじゃなくて、「こうなる」と思ってその通りだったら、それはもうやめたほうがいいと言って学生に怒られてるんですけど。そんなアンエクスペクテッドな結果がChatGTPとかにできたらシャッポを脱ぎます。
高橋
思い通りであってほしいというのは、やっぱり、日本の教育がそうなっちゃってるからですね。
大和
受験でさんざんやってきた参考書とか問題集って、必ず答えが付いてますよね。サッと解いて、後ろをピッとめくって答え合わせして、合ってたらうれしいし、間違ってたらへこむ。でも本当の研究って、何が問題になっているかわからないし、答えがあるかどうかすらわからない。そこを手探りで進むわけですよ。だからこそ、発見があったらものすごくおもしろい。解答があることがわかっているものを解くことと大きなギャップがあるんですけど、そのギャップを飛び越えられないで、惰性で大学院に進んじゃうのは悲劇ですよね。
高橋
予定調和じゃないとダメみたいな人が多いですね。でも違う分野に飛び込んでみてつくづく思うのは、いろいろな経験が全部つながってくるということ。
『シンクロニシティ*7』という本に、いろいろやっていると思いもよらないことが起こる、だけどそれは必然だと書いてありました。その感覚がとてもよくわかるんです。流れをつくりだすと思いもよらない人と出会ったり、ある出来事が起こったりします。それはそっちの方向に夢を持って進んでいるからそういうことが起こる感じがします。
*7 シンクロニシティ:心理学者であるC・G・ユングが提唱した概念で、因果関係がない2つの事象が、類似性や近接性を持つこと。日本語で「共時性」ともいう。本はそれが必然であるという内容。
大和
先生の魅力ですよ。リスクを取って新しいことに飛び込んできたから、道がつながってきた。
高橋
誰もいないゴールに向かって走っていたら、ちゃんとパスが出て来るというところですね。
大和
ぼくらが学生さんよりちょっと優れているとしたら、キャリアが長い分だけいろんなことを知っているってことです。だから、ぼくらが知った気になって思いつくことなんて、さっきのUNEXPECTEDも含めてこれぐらいなもんだとしたら、AIが思いつくことって、ものすごい、桁違いに大きい可能性もあるんですね。
一方でぼくは、人間の記憶容量は無限大だと思っています。生まれたときから死ぬまで、1回認知されたことは記憶から消えてない。脳梗塞とかで、ある血管が詰まるとその先の神経が死ぬでしょ。神経には2種類あって、記憶するために使われている神経と、記憶が勝手に蘇ってこないようにブレーキを踏んでいる神経があるんです。そのブレーキを踏むための神経の近くの血管が詰まると、ブレーキを踏むやつがサボり出して、記憶が次から次へと勝手に出てくるわけです。実際に脳外科の先生方によると、脳卒中の発作を起こして運ばれてくる患者さんが、「この2、3日、小学校時代の初恋の彼女の顔がバンバン浮かんでくるんですけど」というようなことをみんな言うんだって。そのことからしても、たぶん、覚えてると。ふだんはブレーキを踏んでいて、だって初恋の彼女の顔がいつも浮かんでたら日常生活で困っちゃうじゃない。だけど、覚えているからこそ、次の新しい認知があったときとか何か考えたときに、昔の記憶が積分として乗っかってくる。さっきのいろんな経験した方がいいというのはそういうことです。
高橋
それって『シンクロニシティ』の本で書かれているのと同じですよね。ずっと考えているからそれがパッと来る。たまたまのように思うけど、網を張ってたわけですね。well-preparedであるための心構えってどういうことかっていうと、これは必要だとか、役に立たないからやらないとか、そんなことを言わないで、どこから来てもキャッチできるように、なんでも一生懸命にやっていくってこと。
大和
もう一つアドバイスとして付け加えるとしたら、この対談を読む人って、たぶん理科系の人が多いと思うのね。理科系が好きな人ほど文科系の勉強をちゃんとやったほうがいい。本を読んだり文章を書いたりという言葉の勉強ね。いまぼくらが付き合っているアメリカの大学院生って、めちゃくちゃ文章を書く力が高いんですよ。プレゼンなんかでもすごくうまい。どこが違うのかなぁ。日本人のプレゼンって、パワーポイントを作るのがうまくても、聞いていてつまんない。「読んでるだけじゃダメだよ」ってよく言ってるんですけど…パッションが伝わってこない。やっぱり勝負はパッションかな。
高橋
文科系が好きな人だったら、数学とか科学のリテラシーを身につけてほしいな。日本の社会って論理立ってないですよね、そこをもうちょっとやってほしい。もちろん、理系と文系に分けすぎるのは大きな問題なんだけど。
――対談の最後に、これからの展望をお話しいただければと思います。
間葉系幹細胞で筋ジストロフィーを治したい
大和
定年までにやりたいと思っているのは、間葉系幹細胞*8(MSC)を使った筋ジストロフィーの再生医療です。いま東京女子医大では脊髄性筋萎縮症(SMA)とかデュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)といった小児の神経筋疾患の患者さんがいっぱいいるんですね。で、このうち筋ジストロフィーの治療って、日本ではステロイドだけが承認が出ているんだけど、ステロイドって子どもに使うのはイヤなんですよ。たとえば成長に問題が出てきたり、骨粗鬆症とか肥満とかいろんな副作用がある。だからステロイドに代わる治療法を提供しようということで研究を進めているんです。
もちろんエクソン・スキップ*9などの遺伝子治療が出てきてはいるんです。でも、生まれてきてからだともう骨格ができているし、筋肉細胞って多核な細胞で、一個一個の筋肉の中に入っている細胞の、そしてその核全部に遺伝子治療するって、じつはけっこう大変なんです。受精卵だったらいいですよ。でも生まれてきてからはなかなか無理だから、MSCを投与することによって、筋肉細胞が死んでいくのを遅らせて、症状を和らげようというコンセプトです。
ラットのDMDモデルにMSCを投与したら成功したので、豚のDMDモデルや、福山型筋ジストロフィー(HCMD)といって日本で二番目に多い筋ジストロフィーについて、ゲノム編集で疾患ラットモデルをつくって投与しています。定年まで5年あるので、5年以内に1例、人間の新生児での臨床をめざしているところです。本当は胎児でやりたいんですけど。
*8 間葉系幹細胞(MSC/Mesenchymal Stem Cell):生体内に存在する体性幹細胞の一つで、骨細胞・軟骨細胞、脂肪細胞、神経細胞、肝細胞などなどさまざまな細胞に分化できる。臨床で用いるMSCは骨髄、臍帯(さいたい)、臍帯血、脂肪などから採取される。
間葉系幹細胞については、以下の記事を参照ください。
フクロウ博士の森の教室1 生命科学の基本と再生医療
第26回 間葉系細胞って何だ!?
アニメーション:https://www.terumozaidan.or.jp/labo/class/26/slideshow.html
インタビュー:https://www.terumozaidan.or.jp/labo/class/26/interview01.html
*9 エクソン・スキップについては、以下の記事を参照ください。
この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第24回
筋ジストロフィーの新しい遺伝子治療法の開発に取り組む
https://www.terumozaidan.or.jp/labo/interview/24/index.html
加齢黄斑変性以外の疾患も治したい
高橋
私が10年前に手がけた加齢黄斑変性の手術は、iPS細胞から網膜色素上皮細胞を分化させて移植したものです。でも同じ加齢黄斑変性でも網膜色素上皮細胞だけで治せる症例だけじゃないんです。
眼から入ってきた光は、眼球の奥にある視細胞が受け止めて光のシグナルを電気信号に変えて次の細胞へとリレーしていき脳に届きます。その視細胞をメンテナンスしているのが網膜色素上皮細胞。2つとも網膜外層にあって、どちらも増殖しないので、悪くなったら置き換えるしかありません。私たちがいま目標にしているのは、この網膜色素上皮細胞と視細胞という2つの細胞の障害による症例を全部ターゲットにして、これまでの治療法をつくり替えることです。
網膜色素上皮細胞についてはすでに一般の治療に使えるレベルの細胞をつくるメドが立っているので、病名に関係なく、網膜色素上皮細胞を移植して治療できる疾患はすべて治したい。2022年には、加齢黄斑変性以外にも他人のiPS細胞から作った網膜色素上皮細胞を紐状に加工して、遺伝性の網膜変性疾患の患者さんに移植する治療に取り組みました。これなら網膜の小さな穴から注入できてうまく生着するんですね。
視細胞移植の場合は、他人由来のiPS細胞を視細胞のほかに他の細胞も混じった立体的な網膜シートにして移植しなければなりません。さらに神経ネットワークに組み込まれないといけないのできわめて難しいのですが、シナプスが形成される際に、患者さんの網膜の状態が良ければ、患者さん側の細胞が軸索を移植細胞に向かってのばしてくれることがわかりました。これも2020年に2名の患者さんを対象に移植をして2年経過し、神経細胞に接続し安全性が認められたことを23年12月に発表しました。これは世界で初めての成功です。
再生医療だけでなく、遺伝子治療もやろうと考えていて、ビジョンケア社の子会社としてVC Gene Therapy社を設立し、臨床試験に向けた準備を進めています。10年以内に、日本だけでなく、世界に新しい治療を届けたい。こんなふうに、未来にワープしてビジョンを掲げ、そこから逆算していま何をやるべきかを見定めながら進めているところです。
大和
もうひとつ、やりたいことを思い出した。生物の教科書を書き換えたいな。生物学って医学の基礎なのに、いまの生物学の教科書って医学につながっていないじゃないですか。21世紀に重要な産業は、食品とエネルギー、軍事でしょうが、もう一つ重要なのは医療。医学のリテラシーがあまりに低いのでそれを埋めたい。そのときは高橋先生にも声をかけますので、よろしくお願いします。
高橋
たしかに、裸眼視力と矯正視力の違いぐらいは知っておいてほしいですね(笑)。

対談:2024年7月18日実施 構成:高城佐知子