人類の祖先の旅を探求する篠田先生だが、DNA解析によって見えてくるものは何だろう。
「人類進化の過程から考えれば、私たち現代人が生まれたのは非常に新しい時代です。私たちの持つDNAを研究してみると、国境などでスパッとDNAに線引きがされているわけではないのです。日本という国に住むわたしたちが持つDNAは、東アジアの広い地域の人に共有されていますし、さらに東アジアの人たちは、その近隣の地域の人とDNAを共有しています。そして、最終的にはアフリカが人類共通のルーツなんです。こういったDNA的世界観を共有することが必要だと思うんです」
たとえば、黒人、黄色人、白人の人種の違いは、単に住んでいる地域の紫外線の量の違いにすぎない。人類が発生したアフリカの地域は太陽の紫外線が多く降り注ぎ、それから体を守るために皮膚が黒くなった。アフリカ人がヨーロッパなどの紫外線量の少ない地域に移行し、何世代もの間の突然変異の繰り返しによって、肌の色が白くなっただけで、人種がアプリオリにあったわけではない。「DNA的世界観」に立てば、人種の偏見など何の根拠もないのである。
では今後、分子人類学にはどのような可能性があるだろう。核のDNAの解析が進み、頭や顔の形など、ヒトの形態を司る遺伝子を効率的に分析できるようになる可能性もあるかもしれない。
「すると、たとえば縄文人の髪の毛や目の色がわかるかもしれません。まぁ多分縄文人の眼の色は黒いとは思いますが、もしかすると青いかもしれない(笑)」
けれども片方で、篠田先生は人類学がDNA解析だけに特化していくことに対して危惧ももっている。
「分子人類学の進歩は、研究室にこもってDNA解析だけに没頭するタイプの研究者をつくってしまう恐れがあります。私たちが人類学を始めたころは、いまのように分子生物学、遺伝子研究が進んでいなかった。だからフィールドワークに出て、土の中から発掘される人骨と向かい合って対話したものです。この人は一体どんな生活をし、どんな生き方をしていたのだろうと。研究室でDNAだけを相手に分析していると、こうした手触り感を失ってしまうと思います。そこが心配ですね」
最後に、篠田先生はこれから生命科学の分野に進もうとしている若い人にこうアドバイスしてくれた。
「サイエンスには2つの種類があると思います。ひとつは、そのサイエンスによって直接人の生命が助かったり、何か効率的なモノを生みだすもの。もうひとつが、研究している時点では直接役には立たないが、長い時間を経たとき、それが大きな価値を生み出すタイプです。ちょうどアーティストが、人知れず絵を描いて、それが何世紀も経ってから人々に感動を与えるのと同じで、こういう研究も大切にしてほしいですね」
(2011年2月7日取材)