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第10回 DNAで探る日本人のルーツ ~国立科学博物館 篠田謙一先生を訪ねて

分子生物学の進展によって、私たちのからだの設計図であるDNAが解読されたことは、医学や薬学の進歩に大きく貢献した。それだけではない。農業の品種改良や畜産業をはじめ、さまざまな分野に新たな研究手法を提供している。そして今、10数万年前の人類の旅も明らかになってきたのだ! ミトコンドリアDNAの解析を通じて、日本人の起源の研究を進めている篠田先生にお話をうかがった。

DNAの解析によって人類の進化やルーツを探る分子人類学

「人類はどこで誕生して、どのように世界各地に広がっていったのだろう?」「日本人はいったいどこからきたのだろう?」───こうした疑問を解くために、これまで人類学者は遺跡などから出てきた人骨の形態を調べて、いつの時代に生きていたのか、どんな集団をつくっていたのか、他の地域で発掘された骨の形態と共通点はあるか、またどんな違いがあるかなどを観察し、さまざまな仮説を立ててきた。
「けれども、1970年代にはじまる分子生物学の驚異的な発展によって、こうした骨や歯の形態を調べる方法に大きな変化が起きました。1953年に生物学者ワトソンとクリックによって生物の遺伝子が二重らせん構造をしていることが判明して以来、遺伝子に関する知見が深まり、DNAの解析技術が飛躍的に進歩した結果、現代人や古人骨に含まれる遺伝子を調べることで、人類がどのような道をたどって今に至ったか、これまでとは比較にならないほど精度の高い情報が得られるようになったんです」と、篠田先生は、分子生物学が人類学に与えた影響の大きさを語っている。

分子生物学的な手法が人類学に導入されたことから、人類の起源とその後の展開についても従来の学説がくつがえった。
「以前の人類学では、人類の進化は100万年以上前にアフリカを旅だった原人(ホモ・エレクトス)が、アフリカとユーラシアの各地で互いに独立性を保ちながら、原人→旧人→新人(ホモ・サピエンス)へと独自の進化を遂げ、ネアンデルタール人はヨーロッパ人に、ジャワ原人はオーストラリアの先住民のアボリジニに、北京原人は東アジア人にと、それぞれの地域の現代人に移行した(多地域進化説)というものでした。しかし、DNAの解析の結果、現在の人類はすべて20万~10万年前にアフリカで生まれ、7万~6万年ほど前にアフリカを出て全世界に広がった(新人のアフリカ起源説)ことが明らかになったのです」

多地域進化説と新人のアフリカ起源説
多地域進化説と新人のアフリカ起源説

(国立博物館「日本人はるかな旅展」の図をもとに作成)

アフリカを旅だった人類は、ヨーロッパへ行くグループとアジアへと向かったグループに分かれる。アジアに向かった集団がオーストラリアにたどり着くのが4万7000年前。東アジアにも同じころに到達し、2万年ほど前に、当時は陸続きだったベーリング海を越えてアメリカ大陸へと渡っていった。南太平洋に点在する島々とニュージーランドへは中国の南部または台湾の先住民が東南アジア経由で南下し、約3000年前にたどり着いたと推測されているという。

人類の移動
篠田謙一先生
篠田 謙一(しのだ けんいち)国立科学博物館 人類史研究グループ グループ長

京都大学理学部卒業後、佐賀医科大学助教授を経て、2003年国立科学博物館に。現在人類史研究グループ グループ長(兼)分子生物多様性研究資料センター研究員。専門は、日本やアジアなどの古人骨のDNAを解析し、人類の進化やルーツを探る分子人類学。日本人の起源を探究するほか、スペインによって征服される以前のアンデス先住民のDNA研究を行い、彼らの系統と社会構造について研究している。著書に『日本人になった祖先たち』など多数。

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